テリー そういう時、美川さんは落ち込んだりしないんですか。
美川 そのぐらいのちょっとした苦労はバネにしましたね。「私はこのままじゃ終わらない。絶対また大きなステージにカムバックできるように頑張る!」って自分に言い聞かせて。
テリー 偉いなぁ。
美川 で、そんな時に、たまたま「どついたるねん」(1989年公開)っていう阪本順治監督の映画の話が来たんですよ。
テリー はい、赤井英和さん主演の。
美川 そうそう。で、それ、バーのママの役だったんですよ。昔だったら「そんなの冗談じゃない」って断ってたんだけど、その時は仕事を選んでる場合じゃないから。で、それに出たら今度はコロッケのモノマネの番組のオファーが来たんですよ、ご本人登場で。
テリー コロッケさんが美川さんのモノマネをやってるのは知ってたんですか。
美川 あれは「あんた、私のモノマネしなさいよ」って、私がコロッケにお願いしたの。
テリー ええっ、そうなの!?
美川 そうなの。プライベートの私の誕生会で。まだその時はちょっとテレビにご無沙汰してる時だったから、コロッケに「私のモノマネやりなさい」って言ったら、最初は「難しくてできない」って言ってて。だから、「あんた、そんなこと言ってたら時代遅れになるわよ」「いつまでもブルース・リーで熱い鍋に手を入れるモノマネして、『アチャー!』とか言ってるだけじゃすぐ終わっちゃうよ。新しいのやった方がいい」って言って。
テリー それでコロッケさんがモノマネしてくれたの?
美川 そう。あんなに「できない」って言ってたのに、ある時、お昼の番組を観てたら、私のモノマネしてて、「あら、いい子じゃないの」って(笑)。
テリー そうなんだ。僕、初めて知りましたよ。変な話、美川さんはムッとしてるんじゃないかと思ってたんですけど、そうじゃなかったんだ。
美川 はい。全部、私の演出です。
テリー さすがですねぇ。
美川 それで、そのモノマネ番組に出た時も媚を売るのはやめようと思って。司会の人に何か聞かれても絶対に「うれしいです」なんて言わずにおこうって。それで「(モノマネされて)いい迷惑よ」とか「私はこんな安物の衣装着てこない」って言ったらバカウケしちゃって。ワイドショーのお仕事とか、いろんなオファーが来るようになったんです。
テリー そうだったんだ。「タンスにゴン」のCMはその後です。
美川 あのCMは元々「亭主、元気で留守がいい」とか言っていて人気のCMだったんですね。それで、「これは絶対にちあき(なおみ)を食ってやる」って戦う気持ちで撮影に行ったんです。別にちあきさんと仲悪かったわけじゃないですけどね。
テリー はい、わかります。
美川 そしたら監督が来て、「美川さん、ちあきさんが商店街で『タンスにゴン、タンスにゴン』って言ったら、後ろから自転車で来て、『もっと端っこ歩きなさい』って言ってください」って言われたの。「自転車、乗れますよね?」って。それで「はい」って答えたんですけど、ほんとは乗れなかったんですよ(笑)。
ゲスト:美川憲一(みかわ・けんいち)1946年、長野県生まれ。高校を1年で中退し、東宝芸能学校に入学。1964年、「第17期 大映ニューフェイス」に合格。1965年、シングル「だけどだけどだけど」でデビュー。1966年の「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げる大ヒットとなり、映画化もされ、初出演。その後も「釧路の女」「さそり座の女」など次々とヒットを飛ばす。その後、コロッケのモノマネや「タンスにゴン」のCMで注目され、ワイドショーやバラエティー番組に進出した。今年6月、デビュー60周年を迎え、「歌手生活60周年記念 美川憲一 コンサート2024」が6月6日(木)の大宮ソニックシティ大ホールからスタートする。