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記事全文を読む→戦国武将「真の最強男」を決めよう!〈闘将編〉(1)勝敗がつかなかった信玄と謙信の「好対照の戦術」
戦を勝ち抜いていかねば、その勇名が後世にまで轟くことはない。それは天下取りに絡んだ織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の〝三英傑〟を見れば明らかである。しかし、「真の戦巧者」となると、かの三英傑よりも上手がいたようで‥‥。
今回、アサ芸が取材した歴史ツウが「合戦の上手さといえば、あの2人でしょう」と口をそろえたのが、武田信玄と上杉謙信だ。川中島で5回以上、戦って勝敗が決しなかった2人で、まさに実力は伯仲している。しかも、まるでタイプの違う戦い方をしていたという。
まず信玄率いる武田軍といえば、最強の騎馬隊が有名なのだが、歴史ライターの上永哲矢氏はこう話す。
「最近の研究では、昔の映画やドラマで描かれていたような武田軍の大規模な騎馬隊の存在は否定されています」
とはいえ、「長篠の戦い」で信長が馬防柵を用いるなど、武田軍の騎馬攻撃が警戒されていたのは確か。上永氏が続ける。
「戦場での強さもそうですが、孫子の兵法の『戦わずして勝つ』を実践したのが信玄と言えます。相手が気づいた時には負けているような老獪さ。江戸時代に武田家の甲州流軍学が体系化され、家康が三方ヶ原で敗れたのも誉れのように扱われました」
組織力で戦う信玄に対して、謙信は直感を駆使して対抗した。
「歴史をポップに」を掲げて各種イベントを展開するプロジェクト「レキシズル」首脳の渡部麗氏はこう評する。
「謙信は後ろで作戦を練るタイプではなく、みずから先頭を切って敵陣に突っ込んでいって統率する。それでいて、ほぼ無敗ですから、軍神という言葉が最もしっくりくる武将です」
永禄4(1561)年9月に川中島で武田軍との合戦後、謙信は関白・近衛前さき久ひさに手紙を送った。みずから太刀を取って敵と戦ったことを誇り、自慢話のような内容だったが、その返信で前久は〈自身太刀討に及ばるる段、比類なき次第、天下の名誉〉と称賛している。
何事にも、真っすぐに突き進む、謙信の性格がわかるだろう。
「信玄と謙信が戦巧者であることに異存はないです。ただ、この2人が横綱ならば大関クラスもいます」
と、歴史研究家の跡部蛮氏は語って、まず大関として島津義弘の名をあげる。
元亀3(1572)年の木崎原合戦でわずか300の手勢で、10倍の戦力を誇る伊東義祐に挑んだ。その際に用いたのが「釣り野の 伏ぶせり戦法」。まず、本隊が川せん内だい川を渡河して敵軍に襲いかかる。当然、敵は突撃してくる義弘の首めがけて殺到する。だが、義弘は敵を引きつけるだけ引きつけて退却を開始。相手を釣り出しておいて伏兵に背後を突かせて、敵を包囲殲滅した。つまり、大将みずから囮となったのだ。
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