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記事全文を読む→球団マスコットに転身した「巨人ドラフト1位選手」の偉業と「イチローの賛辞」
巨人のドラフト1位選手から球団マスコットキャラクターに転身を遂げた人物がいることを知っている人は、どれだけいるだろうか、故・島野修氏だ。2010年に59歳の若さでこの世を去ったが、1981年から1998年の18年間にわたり、阪急ブレーブス、オリックス・ブレーブス、そしてオリックス・ブルーウエーブの球団マスコット「ブレービー」「ネッピー」のスーツアクターとして親しまれた人物である。
横浜出身の島野氏は、神奈川・武相高校時代から注目を浴びる投手だった。1967年の夏の県大会では、6試合に登板して4完封。チームを甲子園出場に導き、翌年夏の県大会では準決勝の市立川崎工業戦でノーヒットノーランを達成。一躍、ドラフト候補となった。スポーツ紙ベテラン記者はかつて先輩記者から、1968年のドラフト会議について、次のような話を聞いていると明かす。
「あの年の巨人は、法政大学三羽烏のひとりだった田淵幸一を1位指名する方針だったそうです。ところが指名順が先だった阪神が指名してしまった。巨人は想定の範囲内で、田淵が先に指名された場合、明治大学のエースだった星野仙一の指名が既定路線だったようです。ところが当時の川上哲治監督の『即戦力より素質ある高校生の方がいい』という鶴の一声で変更。島野さんをドラフト1位で指名することになったそうです。星野はその指名を聞き、『ホシとシマを間違えたんじゃないのか』と嘆き、それがのちの打倒巨人につながったという話です」
島野氏は当時の高校生としては破格の、契約金1500万円、年俸180万円で巨人に入団したが、背番号は監督経験者の藤本定義や、猛牛と呼ばれた千葉茂が背負った、由緒ある22番を与えられた。
1971年にプロ初勝利を挙げたが、肩の故障に苦しみ、阪急ブレーブスにトレードされる。1978年に現役引退後、球団からの要請でスーツアクターに転身してチームを陰で支え続けた。球団マスコットの先駆けとして、主催1175試合で球団キャラクターとして走り抜けた。球団マスコット時代を知る球界関係者は、
「島野さんはネッピー時代、1000試合出場した際にイチローから賛辞を送られたほどのレジェンドです。巨人のドラ1が球団マスコットになったんですからね。そんな人は今も昔も、島野さんしかいませんよ」
日本で最古の球団キャラクターは、「つば九郎」の先代「ヤー坊」といわれているが、「ブレービー」「ネッピー」が日本に球団キャラクターを根付かせた功労者であることは間違いない。
(阿部勝彦)
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