あの「確執」の真相は何だったのか――。
阪神OBの今岡真訪氏(旧登録名:今岡誠)が今だからと明かしたのは、現役時代に取り沙汰された「野村克也監督との関係」だった。
ヤクルトを日本一に導いた名将が阪神の監督に就任したのは1999年。1996年ドラフト1位(逆指名)で阪神入りした今岡氏の3年目だった。
野球解説者・下柳剛氏のYouTubeチャンネル「柳に風【下柳剛公式チャンネル】」で、今岡氏はこんなやりとりを展開している。
下柳「野村さんの3年間、あんまり調子が出なかったというか、(野村監督と)合わんかったやろ」
今岡「その頃はレギュラーでも何でもなかったんです。若い、実力もない。その中でいろいろ要求をされる。で、自信もない…。ちょっと若気の至りで『僕はこうしたいんです』って意見を言い過ぎた。それは上の人間からしたら『お前、どの口が言うねん』って、どの世界も一緒だと思います。野村監督の手法がマスコミに喋るっていうのがあったんで、逆に面白いような出方をするっていうのがあるんちゃいますかね」
野村阪神は3年連続で最下位となったが、この間の今岡氏の打率は2割5分2厘、2割1分2厘、2割6分8厘と、パッとしなかった。しかし、星野仙一監督に代わった2002年、打率を3割1分7厘に上げ、2003年には3割4分で首位打者タイトルを獲る。2005年は147打点で打点王にも輝いた。この実績こそが、野村監督に冷遇されていたと囁かれた一因でもあろう。
もっとも、野村監督が就任する前年(1998年)、今岡氏は133試合に出場して打率2割9分3厘、7本塁打、44打点を記録しており、決して今岡氏の言う「実力もない」わけではないのだが…。
野村監督の格言に、こんなものがある。
「三流の人間は相手にされず、二流の人間はおだてられるだけ。一流と認められて初めて非難されるんです」
今岡氏を一流と認めていたがゆえに生まれた確執といえそうだ。
(所ひで/ユーチューブライター)