欧州に比べれば歴史の浅い日本サッカーでも、天才と呼ばれた選手は少なくない。今なら久保建英が天才と呼ぶにふさわしい選手だ。少し前であれば、小野伸二がそうであるのは、誰もが認めるところだろう。
ほかにも結果を残せなかった「消えた天才」であれば、玉乃淳や菊原志郎の名前が挙がる。その中で最もサッカーファンの記憶に残っているのは、ガンバ大阪に所属した礒貝洋光ではないか。
磯貝は小学生の時、すでに「天才少年」と呼ばれ、世代別代表に選ばれた。1992年に東海大学を中退して、ガンバ大阪に入団。1995年には日本代表にも選ばれている。
しかしケガの影響もあってガンバ大阪では思うような活躍ができず、1997年に浦和レッズに移籍。ここでも輝きを取り戻すことができないまま、翌年に現役を引退した。
そんな磯貝の練習態度は残念なものだったと、城彰二氏が自身のYouTubeチャンネルで明らかにしている。Jリーグがスタートした当時のチーム事情を振り返った城氏は、
「山口(敏弘)さんと磯貝さんはセットだった。日本代表でもセットでやって、練習をしないのも、あの2人のセット。代表で持久走を計るんだけど、さあ行くよー、スタートってなると、山口さんと磯貝さんは歩く。走らない。すごいんだよ。本当に練習しない。走るのが嫌だったから。代表に入って普通なら『よし、頑張らないといけない』と思うところがさ、『関係ないよ。俺は走らなくていいんだから』って言って、本当に歩くんだから」
なぜそんな練習態度が通ってしまったのか。城氏がその理由を明かす。
「本当に天才だから。あそこまでの天才はいないんじゃない。だって、努力していないんだから。努力なしの天才って、磯貝さんしかいないと思う」
とはいえ、「もっと真面目にやっていたら…」という思いが伝わってくるのだった。本物の天才が努力し、きちんと練習していたら…日本サッカーの歴史が大きく変わっていたかもしれない。
(鈴木誠)