「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏(享年89)が星になった。
2004年3月4日、68歳の時に脳梗塞で東京女子医大病院に搬送されてから、肺炎で永眠するまで、24年間も病と闘い続けてこられたのは、言うまでもなく「不屈の精神」があったからだ。
緊急入院の翌日、女子医大の主治医と長男の一茂が会見を開き、症状は中等で命に別状はないと説明。ところが脳梗塞を起こしたのは、脳血管を都内のJR線にたとえるならば、「東京駅」のような場所。心臓から送り込まれた血液を脳内に送るターミナル駅のような太い環状の血管の分岐点で、そんな場所の血管が詰まったら、一般人なら命を落としていてもおかしくはない。
それでも一命をとりとめ、寝たきりにならなかったのは、心機能と全身の筋肉が強靭であったこと、野球人として復活するためのパワーリハビリに励んだからだ。
バットをダンベルに持ち替え、チェストプレスやレッグプレスなど、野球場のジムに置いてあるようなマシンを使ったリハビリは早朝から始まり、食事や休みを交えつつ、夕食前まで続いた。
専門病院に転院後はフラッとリハビリ室に降りていき、他の入院患者に声をかける。右半身に麻痺が残り、呂律が回らなくなってしまったことなどお構いなし。笑顔で他の患者を励ましていたという。
そのおかげで、普段はリハビリを拒否している患者までが、リハビリ室に殺到。だが、あまりの人気ぶりが災いして、退院後のリハビリ通院は困難に。玄関先が階段だった田園調布の自宅から別宅へと移り、在宅リハビリに励んだ。
「パワーリハビリ」や脳梗塞治療直後から始める「急性期リハビリ」は、ミスター効果で2000年代に認知度がアップ。プロ野球のカリスマは、医療界まで変えてしまった。
そんなミスターは、病室でもゲンを担いだという。「3」や「33」のつく病室を希望したが、東京女子医科大病院で闘病中、さすがのミスターでも個室「333号室」使用だけは叶わなかった。なぜなら333号室は、産科病棟にあったからだ。
「我らが長嶋茂雄」は野球ファンひとりひとりにとって、これからも不滅だ。
(那須優子)