Jリーグは1993年5月15日に開幕するまで、短期間で様々なことが議論され、決定した。チーム名から企業名を外すことも大きな議題だったが、これに匹敵するほど問題となったのが、試合日程だった。
リーグ戦は週1回というのが世界基準だ。そんな中、Jリーグは「基本、水曜日と土曜日」の週2回開催の方針を発表した。最大の理由は、この年に行われるアメリカW杯予選だった。初年度のJリーグは10チーム。1stステージと2ndステージの2ステージ制を採用することが決まっていたため、週1試合の開催となると消化できない。それに加え、スケール感がない、露出が少ないなどの理由もあり、2回開催の方針となった。
1stステージと2ndステージの合間にW杯最終予選があるため、中断する2カ月間にカップ戦が開催されるという日程だった(4月~1次予選、10月~最終予選)。しかも試合は延長Vゴール、PK戦まで行うというハードなものだった。
しかしこの決定に、選手たちは猛反発。特に日本代表選手クラスの選手には大不評で「あまりにもハード」「選手の体を気づかっていない」など批判の声が噴出したのだ。
こうした反応を当時の川淵三郎チェアマンに振ると、
「何を甘いこと言ってるんだ!」
と顔を真っ赤にして怒りの声を上げた。川淵氏はさらに、
「これからサッカーを盛り上げ、世界で戦おうとしている選手たちが、そんななまぬるいこと言ってどうするんだ」
結果的にこの判断は正しかった。Jリーグは大いに盛り上がり、週2回のスピード感あふれる熱い戦いに、全国で新たなサッカーファンが生まれることになったのである。
残念ながら、アメリカW杯出場は逃したが、選手たちが厳しい戦いを経験したことは、大きな財産になったと思う。
(升田幸一)