サッカー元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が、ガンバ大阪の公式YouTubeチャンネルに登場し、愛弟子と言える明神智和氏(現・ガンバ大阪トップチームコーチ)と対談した。かつてトルシエ氏は明神氏を、
「完璧なチームとは、8人の明神と3人のクレイジーな選手で構成される」
と高く評価。それだけに、話は2002年W杯日韓大会のトルシエジャパンの裏側にまで迫った。
トルシエ氏はよく言えば情熱的で、悪く言うと威圧的な指導が問題視されたが、その理由をトルシエ氏は、
「初めての合宿では技術も見るが、ピッチ外の態度もチェックしていた。さっき明神から威圧的という言葉があったが、選手との距離感や力関係などがあるので、監督はオーラを醸し出さないといけないと思う。厳しいことを言っていたと思うが、短期間で結果を出すために、最初から飛ばさないと間に合わない、という危機感があった」
さらにトルシエ氏はこうも言う。
「感じていることを言葉にすることが大事。最初は無理やりに皆をそういうふうにプッシュしていた。私が練習中に皆を触ったり、引っ張ったりボディコンタクトをしていた意図はわかっていたか」
これに明神氏はどう答えたか。
「最初は抵抗があったと思う。でも一緒に練習する期間が長くなるにつれて、他の選手も意図がわかってきた。最後の方は理解していた」
トルシエ氏が意図的に高圧的な態度をとっていたことを、選手たちはわかっていたと証言したのである。
さらにトルシエ氏は選手たちを子供扱いした理由を明かした。
「自分のチームを、予測していない状況に置くことが大事。海外に行った時に治安が悪いかもしれないが、ホテルから出て勇気を持って散歩するように言ったり、ジムはつまらないから海辺に行ってランニングしたら、と言ったのも、人間として大きくなってほしいという意図があった」
トルシエジャパンの中心選手は中田英寿だったが、どう扱っていたのかといえば、
「私は最初から中田のような選手と、他の選手との距離をなくすようにしていました。ヒデは冷たくないし、会話しやすかった。でもピッチ上では、困ったらこの人にボールを預ける、みたいな流れを変えたかった。誰でも責任を持って、自分もできると自信をつけてほしかったから、11人を平等に見て(中田に)特権は絶対に与えなかった」
2002年秋、中田との関係に変化が訪れる。
「初めてホームでのイタリア戦。中田がローマで活躍していて、メディアが『イタリアVS中田』と書き立てた。私はわざと中田を先発させなかった。メディアは中田への試練やテストなどと言っていたが、その意図はなかった。他のメンバーに、中田がいなくてもできるんだぞ、と。中田がいなかったら君たちはどうするんだ、自分で考えろ、と」
中田がいないまま前半を1-0とリードして折り返し、トルシエ氏はホッとしたという。ところが試合後のこと…。
「記者会見の質問のほとんどが1-1で引き分けたことではなく、どうして中田を外したのか、そればかり。そこから私と中田の不仲説が流れた。中田のチームメイトだったトッティも質問を受けて『俺もなぜ中田がスタメンじゃないのか、理解できない。彼にとって侮辱だ』と言って火に油を注ぐ結果になった。しかしそれが結果的に、私たちのプレッシャーへの免疫を高めたのかもしれない」
当時のエキセントリックな指導や言動は全て意図したものであると、トルシエ氏は言うのだった。本当なのかはわからないが、日本サッカーの歴史を変えたことだけは事実である。
(鈴木誠)