新宿・歌舞伎町では近年、外国人観光客がホストクラブを訪れるケースが増えている。アニメやドラマをきっかけに「日本独自の文化を体験したい」というニーズが広がり、ホストクラブを観光コンテンツとして楽しむ旅行者は珍しくなくなった。 しかしその一方で...
記事全文を読む→「ミスター赤ヘル」山本浩二がホームラン打者になったのは1975年…きっかけは「日本球界初の出来事」だった
昨シーズン、首位争いをしながら9月に入って突如、大失速。まさかの4位に終わった広島カープは今季、9月どころか8月の時点でもう絶望的な位置に沈んでいる。そのせいか、本拠地マツダスタジアムの客入りは伸びず、盛り上がりに大きく欠けている。
今季の戦いぶりを語れば暗い話ばかりが出てきそうなので、ここはひとつ目先を変えて、1975年に遡りたい。というのもこの年、その後のカープにとって、大きな転機となる出来事があったからだ。
監督に就任したのは、ジョー・ルーツ。日本球界初となる、メジャーリーグ出身の指揮官だった。
ルーツの意向によって、前年まで3年連続最下位だったチームの帽子の色を、それまでの紺色から「燃える闘志」を表す赤色に変更。これを機に一気に頭角を現したのは、「ミスター赤ヘル」と呼ばれることになる山本浩二だった。
1968年ドラフト1位で広島入り。1975年に初のタイトルとなる首位打者を獲得し、最優秀選手にも選ばれた。広島の初優勝に貢献すると、以後、本塁打王4回(1978年、1980年、1981年、1983年)、打点王3回(1979年~1981年)のスラッガーへと成長した。
そんな山本を、広島OBの安仁屋宗八氏が岡崎郁氏のYouTubeチャンネル「アスリートアカデミア【岡崎郁公式チャンネル】」で評するには、
「入った頃は中距離ヒッターです。ホームランバッターじゃあ、決してなかったです。ただ、守備は凄かった。肩が凄かった。センターからバックホーム、ほとんどアウトにしたんじゃないかな。(センターの守備位置から)ライトまで行って、サードからのタッチアップをホームでアウトにした。足はズバ抜けて速いことはないんですけど、よく研究してる。盗塁もけっこう、しましたからね。ピッチャーのクセとか、ベンチに帰ってもずっと見てますからね。(昭和)50年(1975年)からホームランバッターになったんじゃないかな。思い切りがよくなりましたね」
ルーツ監督は1975年4月27日、阪神戦でストライク、ボールの判定に激昂して、審判に暴行。退場を命じられたが拒否し、その試合を最後に監督を辞任した(古葉竹識コーチが監督に昇格)。
燃える闘志を象徴する「赤ヘル」が、通算安打2339、536本塁打のスラッガーを生み出したのだった。
(所ひで/ユーチューブライター)
アサ芸チョイス
サッカー王国ブラジルが北中米W杯で3大会連続、ベスト16で姿を消した。W杯では優勝がミッションの国としては「惨敗」という結果だ。これでヒートアップしているのが、日本代表・塩貝健人である。ブラジルとの決勝トーナメント初戦直前に「(ブラジルは)...
記事全文を読む→プロバスケットボールNBAでレーカーズとの契約が終了し、フリーエージェントとなっていた八村塁は、同じくロサンゼルスを本拠にするクリッパーズに、2年総額2800万ドル(約45億円)で移籍した。大リーグでいうところの、名門ドジャースを飛び出して...
記事全文を読む→今年は例年より遅い開催となる7月28日、29日のプロ野球「マイナビオールスターゲーム」。ファン投票選出選手の発表が7日7日に行われ、セ・リーグ投手(先発部門)に選ばれたのは、ここまで10勝している阪神・高橋遥人を僅差で抑えた、首位争いをする...
記事全文を読む→
