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記事全文を読む→東声会トップと弘道会最高幹部が「兄舎弟盃」を交わした!(2)山口組と東声会の連携は古く…
東声会は第二次世界大戦終戦直後の混乱期に、愚連隊グループを糾合した町井久之初代によって創設された。数々の関東の博徒組織と抗争を繰り広げ、急激に組織を拡大。最盛期の勢力は、東京都内はもとより、千葉や横浜など関東一円に及び、さらには大阪、名古屋、沖縄など全国にまで広がった。
山口組との縁が結ばれたのは、東声会が勢力伸長中の63年のこと。町井初代と山口組中興の祖である田岡一雄三代目が、「右翼の巨頭」「政財界のフィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫の仲介により、兄舎弟盃を交わしたのだ。
「世紀の盃とも呼ばれたこの縁組みは、町井初代の後ろ盾となり東西ヤクザの大同団結を目論む児玉と、東京進出の足がかりを狙った田岡三代目、新興組織として他組織や当局に激しくマークされ、山口組との縁でそれらを牽制したい町井初代という、三方に政治的意味合いが隠された盃でした。ですが、翌年から警察当局による第一次頂上作戦が本格化し、東声会も他団体同様、一時的に解散を余儀なくされます」(ジャーナリスト)
その後、66年に東声会は「東亜友愛事業組合」と改称し、山口組とは距離を置く関東組織の親睦会「関東二十日会」にも所属してきたが、山口組との親密さは維持され続けている。
好例が、六代目山口組と早野会長の先代・金海芳雄会長との、肝胆相照らした関係だろう。
05年に司組長が就任し、六代目山口組体制が発足した際、当時「東亜会」と改称され、二代目を務めていた金海会長は、司組長を自身の後見に迎え、さらに関係強化を進めた。16年に早野会長に代を譲ってからは、自身は総裁として高所から見守る形が取られていた。
その金海会長が18年に亡くなる。当時、府中刑務所で服役中だった髙山清司相談役は、19年10月の出所後、ひと月も空けずに極秘上京する。訪れたのは、金海会長の遺骨が分骨された東声会の慰霊碑が建てられている、都内のとある寺院だった。
「上京の目的自体は、自身の出所祝いで名古屋を訪問した組織への返礼でしたが、いの一番に慰霊碑と、同寺院に眠る町井初代の墓所の前で手を合わせました。墓参は髙山相談役の強い希望によるもので、この後、港区の東声会本部で早野会長と会談も持っています」(ジャーナリスト)
司組長は東声会を後見してすぐに長期服役に入っただけに、髙山相談役が若頭として六代目山口組を先導してきた時期、金海会長と結んだ交誼がよほど緊密だったことの証だろう。
アサ芸チョイス
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