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記事全文を読む→神戸山口組「九州集結」の緊急事態(2)竹内若頭が自ら外交の最前線に
一方の六代目山口組は10月17日、最高幹部が茨城県鹿嶋市を訪れていた。同市内の松葉会(東京・伊藤芳将会長)傘下組織、六代目國井一家(総長=伊藤央風紀委員長)本部で行われた「三社親睦会」に出席したのだ。
この親睦会は親戚関係にある六代目山口組と松葉会、そして稲川会(東京・内堀和也会長)の間で年3回開かれている。他組織関係者が言う。
「これまでは東京都台東区の松葉会本部が恒例の会場だったが、地権者との間で明け渡しを巡り現在も係争中だ。その影響で伊藤会長の出身組織である國井一家本部に会場が移されたのだろう」
当日は、午前11時までにホスト役の松葉会幹部や組員が全員会場入りしていた。親睦会に臨む関孝司理事長(助川一家七代目総長)、河基真治幹事長(上萬一家九代目総長)、郡司東光本部長(鯉淵一家十三代目総長)、佐竹常機総本部局長(佐竹一家初代総長)らが、出迎えの準備を始める。
そして11時半過ぎ、客人たちが到着する。まず姿を見せたのは、稲川会の最高幹部たちだった。貞方留義理事長(三代目埋地一家総長)、池田龍治総本部本部長(十二代目小金井一家総長)、熊谷正敏渉外委員長(十一代目碑文谷一家総長)、小沼武夫運営委員長(六代目箱屋一家総長)が送迎車から降り立ち、本部内に入る。
間髪いれずに六代目山口組一行も到着する。出席メンバーは竹内照明若頭(四代目弘道会総裁)、山下昇本部長(極粋会会長)、佐藤光男若頭補佐(落合金町連合会長)、金田芳次幹部(二代目大原組組長)であった。ジャーナリストが語る。
「六代目山口組は、若頭時代の髙山清司相談役が親睦会に出席していなかったため、『若頭』の出席はないものと思われていました。が、今年6月の親睦会で、就任直後だった竹内若頭が出席。今回も連続出席したわけで、6月が単なる顔見せではなかったことがわかりました。自ら最前線に立ち、活発に外交していく腹積もりなのでしょう」
退出時、3団体の最高幹部らの顔は一様に和やかだった。そこには長年積み重ねた絆が垣間見えたのだ。
先述したようにこの会合から遡ること1週間、10月10日には、神戸市内の霊園で、分裂抗争事件の犠牲者となった五代目山健組系組員2名の七回忌追善法要が営まれていた。
事件は19年10月10日に起きた。当時は神戸山口組だった五代目山健組の定例会終了後、雑誌カメラマンに扮した弘道会系幹部が本部近くの路上で組員2名を射殺したのだ。
その2カ月後、中田若頭補佐は同年8月の銃撃事件容疑者として逮捕される。勾留中に神戸山口組からの独立、六代目山口組への復帰など紆余曲折を経て、24年10月に、神戸地裁で無罪判決を受けて社会復帰していた。命を散らした子分の七回忌に間に合った、と言えよう。
当日は、午前9時頃に山健組・物部浩久若頭らとともに墓前に到着。手を合わせ、組員2名の冥福を祈った後、僧侶の読経に静かに耳を傾けた。
「納骨された山健組慰霊碑には、2人の戒名が書かれた卒塔婆が立てかけられとった。中田若頭補佐名義の供物もあったな。読経を終えた僧侶が帰った後は、隣の山本健一初代の墓にも合掌して退出。そのあとは山健組の直参衆が2、3人ずつ分散して、入れ代わり立ち代わりで参りに来とったわ」(地元関係者)
分裂抗争終結の陰には犠牲もあった。そのことを強く感じさせられた、秋晴れの一日であった。
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