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「ドジャース VS レッズ」
ディビジョンシリーズ第3戦/1995年10月6日
10月27日(現地時間)、ドジャースタジアム。ドジャース対ブルージェイズのワールドシリーズ第3戦。始球式を務めたのは、ドジャースOBで日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄だった。
背番号はドジャース時代の16。はち切れそうなユニホーム姿でマウンドに立った野茂は、プレートの前からキャッチャー役の山本由伸にノーバウンドでストレートを投げ込んだ。
今年は野茂が海を渡ってから、ちょうど30年の節目のシーズンだった。
1995年1月に渡米した野茂はマリナーズ、ジャイアンツ、ドジャースなど西海岸の球団を中心に視察し、ドジャースを選択した。
その理由は「オマリーさんがいたから」だった。
ピーター・オマリー会長の「日本での地位を捨ててまでメジャーリーグでやってみたいというキミの勇気を称えたい。僕はキミのような若者が好きなんだ」という熱意にほだされ、入団を決意した。
この年のMLBのシーズンは、前年8月から続く選手会のストライキの影響により、通常より約1カ月遅れでスタートした。マイナー契約で入団した野茂が、新たにドジャースとメジャー契約を交わしたのは、開幕直前の4月30日だった。
開幕間もない頃、スタジアムには「フィールド・オブ・グリード」(欲張りたちの球場)という看板が見受けられた。それは232日間に及ぶストライキに対するファンからの抗議でもあった。
野球に飽きかけていたファンにとって、海の向こうからやってきた野茂のパフォーマンスは斬新に映ったに違いない。独特のトルネード投法から投じられるフォークボールは、「ナイアガラの滝のように」鋭く落ち、登板するたびに三振の山を築いていった。
ついには、野茂を称える歌まで登場した。♪Day−o、day−ay−ay−o(ディ・オー・ディ・エイ・エイオー)で始まるジャマイカ民謡の「バナナボート」である。
〈ヒ・デーオ ヒ・デーーーーオ NOMOが投げれば大丈夫〉
この替え歌は、当時のロサンゼルスのポップカルチャーのひとつともなった。
1年目の成績は13勝6敗、防御率2.54。奪三振王と新人王に輝いた。
野茂の活躍もあり、ナ・リーグ西地区優勝を果たしたドジャースは、ディビジョンシリーズでレッズと対戦した。野茂の登板は2連敗後の第3戦。10月6日(現地時間)、リバーフロント・スタジアム。日本人メジャーリーガーとして、初めてポストシーズンゲーム出場を果たした。
野茂は3回、外角ストレートを主砲のロン・ガントに左翼席に叩き込まれた。先制2ラン。4回にはブレット・ブーンにソロホームランを浴び、6回無死一、三塁で降板した。試合は10対1でレッズが大勝した。
感動的だったのは試合後である。特設会場での記者会見。会見を終えた野茂にガントが近付き「MLBはキミに救われた」と声をかけた後でこう続けた。
「MLBの選手たちは、皆ヒデオ・ノモに感謝の気持ちでいっぱいなんだ。その気持ちを僕が代表して伝えただけ。彼の活躍がなかったら、(スト明けの)MLBはもっと寂しいものになっていたはずだよ」
今では伝説ですらある野茂のルーキーイヤーは、かくして幕を閉じた。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森喜朗 スポーツ独白録」。
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