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記事全文を読む→「プロレスVS格闘技」大戦争〈「平成の猪木」を目指した髙田延彦の最強路線〉
1991年1月7日、ショー的要素を排除した格闘技プロレスとして世間一般でもブームとなったUWFが、前田日明の突然の解散宣言によって3派に分裂するという事件が起こった。
藤原喜明は2月4日に船木誠勝、鈴木みのるらと新UWF藤原組(のちにプロフェッショナル・レスリング藤原組に名称変更)の設立を発表。前田は3月14日にリングスを設立。そして髙田延彦、山崎一夫らの多数派選手が2月20日に設立したのが、UWFインターナショナルである。
5月10日に後楽園ホールで旗揚げ戦を開催したUインターは、U系3団体の中ではプロレス色が強く、かつてアントニオ猪木が掲げた「プロレスこそ最強の格闘技」を実践するべく「最強」を謳い、髙田は“平成のアントニオ猪木”の道を邁進していく。初のビッグマッチとなった11月7日の大阪府立体育会館では、猪木の若きライバルでもあった元WWF(現WWE)ヘビー級王者ボブ・バックランドに腕固めで完勝すると、旗揚げイヤーを締めくくる12月22 日の両国国技館では、プロボクサーのトレバー・バービックと異種格闘技戦を敢行した。
バービックはモハメッド・アリ現役最後の相手であり、86年3月にはピンクロン・トーマスを破ってWBC世界ヘビー級王者になっている。髙田と戦う時点では38歳の高齢だったものの、86年11月にマイク・タイソンに敗れるまで王者に君臨していただけに、髙田の最強路線にはうってつけの相手だった。
この試合に至るまでの流れは猪木VSアリを彷彿させるもの。猪木は紋付袴姿でニューヨーク州マンハッタンのプラザホテルにてアリと調印式を行って世界に正規のスーパーファイトをアピールしたが、髙田も決戦2カ月前の10月下旬に渡米し、30日にニューヨークのセントラルパーク近くのミッキー・マントルズでバービックと調印式。
ミッキー・マントルズは50~60年代にニューヨーク・ヤンキースの主砲として活躍したミッキー・マントルが経営していたレストラン(現在は閉店)で、ニューヨークでは記者会見の名所としても知られていた。
アメリカの3大ネットワークの1つであるABC、イギリスのBBC、新聞社ではUSAトゥデイ、ニューヨーク・タイムズなど約50社のメディアが集まる中、髙田は紋付袴で登場。まさに猪木を踏襲するものだった。
猪木は新日本プロレスを旗揚げした際に“プロレスの神様”カール・ゴッチを最高権威としたが、Uインターはバービック戦に際して“不滅の鉄人”ルー・テーズに立会人を要請。テーズは「ショーアップされ過ぎた現在のプロレスと一線を画し、昔から伝えられてきた本当のストロングスタイル・レスリングを継承しているUWFインターナショナルに参加できることを心から喜んでいます」というメッセージを寄せ、のちにUインターの最高顧問として迎えられた。
試合は猪木の異種格闘技戦と同じく「格闘技世界一決定戦」と銘打たれ、3分10ラウンド、インターバル1分のボクシング形式。ボクサーは12オンスのグローブ、レスラーはスネ当てを着用し、反則となるのは頭突き、肘打ち、急所攻撃、レスラーによる顔面へのパンチ、勝敗はKO、ギブアップ、フルラウンドを戦った場合には判定により決するというシンプルなルールだったが、後味の悪い試合になってしまった。
不安材料は大会前からあった。バービックはスポーツ紙で、髙田のローキック使用禁止を執拗に訴えていたのである。
いざ、試合。リングに登場するや、レフェリーと髙田に対してジェスチャー入りで「腰から下は蹴るな」と要求し、1R開始と同時に髙田がローキックを放つとバービックは「なぜ蹴るんだ!?」と猛抗議。ブーイングが起こる中、構わず髙田がローキックを連発するとバービックはコーナーで動かなくなってしまった。
そしてわずか172秒、バービックがロープをくぐってリングを降りると、レフェリーは試合放棄による髙田の勝利を宣告した。 バービック側は「髙田は契約を破った。契約書には腰から下は蹴らないという条項が入っている。今日の午前中に安生(洋二)とも最終確認している。我々は法的措置も考える」と弁護士のマーク・パナンジオが声明を発表。
同決戦に先立って行われた「格闘技世界一決定戦」の第1試合では、ビリー・スコットがプロボクシングIBF世界クルーザー級王者ジェームス・ワーリングと10ラウンドをフルに戦い抜いて判定勝ちしたが、ここでもワーリングが「10ラウンド持たせたら俺の勝ちにするということだったのに、約束を破られた!」と激怒。
他流試合の難しさを改めて浮き彫りにした、Uインターの格闘技世界一決定戦路線だった。
その後、髙田は、大相撲の横綱からプロレスに転向、さらに空拳道代表の武道家になった北尾光司を92年10月23日の日本武道館の「格闘技世界一決定戦」においてハイキック1発でKO。「最強」の道をひた走る。そして、ヒクソン・グレイシーと遭遇することになる。
文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。
写真・山内猛
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