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記事全文を読む→【プロ野球・意外記録】実は広島カープが「屈指の代打王国」だった「凄い打者」と現在
かつて広島カープには「代打王国」と呼ばれる時代があった。ここにセ・リーグで代打として起用された打者の、通算打率ベスト5がある。5人のうち実に3人(60%)が、カープの打者だった。
①若松勉 (ヤクルト)3割4分9厘
②浅井樹 (広島) 3割1分5厘
③宮川孝雄(広島) 2割9分
④松山竜平(広島) 2割8分8厘
⑤高木由一(大洋) 2割8分7厘
※ただし、300打席以上
まずその草分けは、1960年に社会人野球(門司鉄道管理局)からカープに入団した宮川孝雄。彼は入団4年目に、当時の監督・白石勝巳からこう声をかけられた。
「ウチの打線はチャンスに弱い。ここ一番のところで打ってほしい」
そこで取り入れたのが、合気道だった。宮川は当時、JR広島駅北口にあった「住田道場」に通い、座禅を組み、木刀を1日1000回、大上段から振り下ろした。その心は「攻撃してくる相手の呼吸を吸い取って打つ」。
こうしてカープで初めて、代打専門の打者が誕生した。
「代打といえば浅井樹」
そう思っている野球ファンは多い。浅井は1990年ドラフト6位で富山商からカープに入団。レギュラーを目指したが、当時のカープには同期の前田智徳のほかに、江藤智、金本知憲、緒方孝市らがいて「ビッグレッドマシン」と呼ばれていた。つまり、浅井が入り込むすき間がなかったのである。その状況で回ってきたのが「代打の仕事」だった。
浅井がカープで代打として起用されたのは、実に582回に及ぶ。これは90年以上に及ぶ日本球界で第5位。そして代打で放った安打154本は歴代3位。さらに代打での通算打率3割1分5厘は歴代2位。浅井は現役生活の最後までレギュラーを目指すことによって、結果的に「代打の切り札」の座を長く保つことができた代打男だった。
代打安打の22%がホームランだった「リーグ記録男」
「左の浅井、右の町田」
1992年にドラフト1位で専修大からカープに入団し、その後、右の代打の切り札として活躍した町田公二郎は、通算代打本塁打20本の日本記録を持つ、生来からの長距離打者だった。
町田は1996年8月23日から9月11日にかけて、代打で9打席連続出塁を達成し、当時のリーグ記録を作った。代打における通算成績は397打数90安打、20本塁打、71打点。代打で放った安打のうち実に22%が本塁打であり、長打で試合を決める豪快なスイングが心に残る代打男だった。
さらに2025年限りでカープを退団した「令和の代打男」松山竜平もまた、カープ史に名を刻む名打者だった。
私はこれらの物語を「カープ不滅のスラッガー伝説」(4月15日発売・南々社)で詳しく描いた。

今のカープはちょっと悔しいが、試合終盤に最高のドラマを作る、そういう舞台の役者が「不在のまま」である。
(迫勝則/作家)
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