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記事全文を読む→寺脇研が選ぶ今週のイチ推し!〈巡査も勤務中に一杯やっていた。酒飲みから辿る日本社会の変遷〉
「酔っぱらい」たちの日本近代 酒とアルコールの社会史
右田裕規・著
角川新書/1034円
わたしと同じ酒飲みの皆さん、本のタイトル「日本近代」「社会史」とかの文字にむやみに緊張する必要はありません。これは江戸時代末期から明治、大正、昭和と、我々の先輩に当たる酔っぱらいたちが辿ってきた道筋を覗く楽しい本なのである。
まずは、ちょんまげを結っていた頃の我らが先祖の飲みっぷりだ。地方の農村などでは、飲酒は冠婚葬祭や年中行事、祭礼に限られていたが、大都会の江戸は違った。18世紀後半の江戸における酒の消費量は、女性や子供を含めた住民1人当たり毎日1合の計算になるという。江戸っ子の職人たちは、時には昼間の仕事の最中にも飲んでいたそうだから威勢がいい。
文明開化の明治時代になっても仕事中の一杯は当たり前だった。巡査ですら、勤務中に飲む者がいたのだ。それが、近代産業の発展で、工場労働者が急増した明治末期辺りから変化してくる。大正時代になると「酒気帯び勤務禁止令」で取締り対象になるほどで、夜と休日に家庭内や酒場で飲む、今のような形になっていく。
昭和に入ると会社勤めのサラリーマンも増え、夜の歓楽街が華やかになる。女性が接客するカフェやバーは大賑わいだ。我々にはお馴染みの「仕事帰りに飲み、終電で帰る」という昭和飲酒スタイルは100年の歴史を有するのだ。勘定のワリカンも昭和初期に始まり、戦後には常識となった。
そして、あの高度経済成長期やバブル期に会社の金で飲んだ「社用族」は、実は公の経済統制が厳しくなった、太平洋戦争前後の戦時体制での役人接待が起源だと知って驚かされる。それが戦後に企業の「交際費」として残ったわけだ。
戦争の影響は、やはり大きい。戦前に酒類の市場シェア7割を超えていた清酒は、戦時の食糧不足で米が酒造に割り当てられなくなり、高純度アルコール添加で誤魔化すようになっていく。一方で、麦を原料とするビールの需要は増すばかりだった。戦後の食糧難を経て、遂に1959年には消費量で清酒を追い抜く。「とりあえずビール!」の時代到来だ。
こうして見ると、日本の近代と、酒や酔っぱらいの歴史は、働き方や生活様式とも不即不離の密接な関係を持つ。各所に引用される民俗資料や井伏鱒二、川端康成、内田百閒など作家たちの酒にまつわる話も楽しく、酒飲み人生が肯定されているようで嬉しい。
裏付けには政府の統計資料や学術的データをも駆使して、酒について熱く語ってくれる著者は、社会学を専門とする学者なのだが、酒について愛情を込めて熱く語ってくれる。
たぶん、ご自身もなかなかの酒飲みに違いあるまい。
寺脇研(てらわき・けん)52年福岡県生まれ。映画評論家、京都芸術大学客員教授。東大法学部卒。75年文部省入省。職業教育課長、広島県教育長、大臣官房審議官などを経て06年退官。「ロマンポルノの時代」「文部科学省 『三流官庁』の知られざる素顔」「昭和アイドル映画の時代」、共著で「これからの日本、これからの教育」など著書多数。
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