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記事全文を読む→【追悼秘話】張本勲の「阪神移籍決断」を覆したウラ攻防…実は巨人に3度「移籍ラブコール」を送られていた
通算3085安打という、日本プロ野球界における歴代最多安打の大記録だけではない。通算504本塁打に加え、319盗塁も達成している名選手、張本勲さんが9月9日に都内の病院で亡くなった。
現役時代の大きな分岐点となったのは、1959年のプロ入りから17シーズン在籍した東映(日本ハムの前身)から巨人への移籍だった。
この頃、毎年のように移籍志願をしていた張本さんは三原脩球団社長から「希望の球団に行け」という内諾をもらい、巨人を希望していたが、熱心に誘っていたのは阪神の吉田義男監督だった。
その結果、張本さんは「阪神移籍」を決断していたが、水面下で獲得に動いていたのが史上初の最下位という屈辱から大補強に動いていた巨人・長嶋茂雄監督だった。最後は長嶋さんの熱意で巨人行きが決まると吉田監督に、
「張やん、よかったやんか。家は東京にあるし、巨人も好きだし、頑張りや」
と言われたと、本人が明かしている。
実は巨人は長年、張本さんにはラブコールを送っていた。最初に接触したのは長嶋さんではなく、V9を達成した川上哲治監督である。川上巨人時代にも「巨人移籍」の話が決まりかけていた。
1971年オフに、川上監督が張本さんを高評価。
「プロ野球界で3000安打を打てるのは張本しかいない」
そう言って、球団に張本さんの巨人移籍を進言したのである。
文字通りの「暴れん坊将軍」となっていた
東映の田宮謙次郎監督との会談も行われた。
「川上さんは3番・長嶋、4番・王、5番・張本という構想を持っていた。それ以上に巨人で3000安打をと考えていた」(巨人OB)
当時の張本さんはすでにトップクラスの実力でパ・リーグを席巻していたが、監督やフロントとソリが合わず、文字通りの「暴れん坊将軍」となって、チームで浮いていた。
1975年にスタートした第1次長嶋政権は、開幕当初から最下位という低空飛行を続けていた。王貞治の大不振もあり、
「長嶋さんはこの年の6月にも張本獲得に向けて動いていたものの、結局はまとまらなかった」(前出・巨人OB)
正式に巨人の一員となったのは、1976年シーズンから。川上時代から数え、実に3度もラブコールを送られていたことになる。
引退後は情報番組「サンデーモーニング」(TBS系)で、現役当時から兄貴と慕っていた大沢啓二氏ともに「ご意見番」として「あっぱれ!」「喝!」の掛け合いで親しまれた。86年の生涯は、波瀾万丈の野球人生でもあった。
(小田龍司)
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