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記事全文を読む→有名人衝撃死の真相「力道山」“最古参プロレス記者が語る力道山の死”
戦後最大の英雄だった力道山は63年12月15日、ヤクザに刺された傷がもとで、39年の生涯を終える。現役最古参のプロレス記者・門馬忠雄氏が、当時の緊迫した様子を再現告白する。
当時、「東京スポーツ」のボクシング担当だった私は社で原稿を書いていると、「力道山、急死」のニュースに原稿を放り投げて現場に向かった。プロレス担当になるのは1年後だったが、これだけ大きな事件だから担当も何もない。
すでに赤坂の山王病院から自宅のリキアパートに遺体が運び込まれ、周辺を取り囲んだ日本プロレスの所属レスラーたちは、一様にピリピリした空気を出していた。先輩記者に聞いた話では、力道山の病室では、刺した組員への「仕返し」を考えているレスラーもいたというから。
力道山は12月7日に静岡・浜松で試合をし、夜行列車で帰京。翌8日に赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で飲んでいたところ、口論となった若い組員に腹部を刺される。そして12月15日、腸閉塞から容体が悪化し、午後9時20分に亡くなった──これが当時の私の取材メモです。
日本にプロレスを根づかせ、熱狂を生んだカリスマだけに、翌日のスポーツ紙には「プロレスの灯が消えた」と書いているところがあった。力道山の死はイコール、プロレスの死だと報じられたのです。
そして12月20日、池上本門寺で行われた葬儀は、これほどの人がどこから集まってくるのかと思うくらい、とぐろを巻くほどの列だった。
葬儀を終えた日本プロレスは、未亡人の名を借りた4人の合議制(豊登、遠藤幸吉、芳の里、吉村道明)に移行。そこから豊登が次の社長になったが、競輪や競馬に会社の金をつぎ込むなど経営者の器ではなかった。
そんな混乱を救ったのが、アメリカから凱旋帰国したジャイアント馬場だ。馬場はアメリカでもスーパースター級の活躍をしていたが、日本に帰ってきたことで一躍、救世主となった。これにアントニオ猪木も続いた。
力道山の死がプロレス界にもたらしたのは、インパクトを与えながらの「世代交代」という概念。日本の戦後と同じで、何もないところから復興を果たすという歴史の繰り返しだ。
とりわけ、馬場と猪木の2大スターを育てたことが、力道山の最大の功績だったと思うね。
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