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記事全文を読む→大勝軒“分裂抗争300日抗争”でクーデター派が勝利宣言!(2)山岸氏もネクタイ着用で参加した「丸長会」という組織
さて、丸長会とはどんな組織なのか。会の発足は昭和34年と古く、
「現存するラーメン店の互助組織、いわゆるのれん会では日本最古の組織です」(坂口会長)
そのルーツは昭和22年12月に遡る。初代会長の青木勝治氏が、坂口会長の父である正安氏らとともに、東京・荻窪に開店した「中華そば丸長」が会名の由来である。
「戦後の食糧難が続いていて、スープ作りに必要なガラなどの材料が手に入りにくい状況でした。そこでそば職人の経験を持つ青木氏が、煮干しやかつお節を取り入れ、試行錯誤の末に現在の大勝軒の原形とも言える和風スープを完成させたのです」(前出・坂口会長)
当時は珍しかった魚介系スープが評判を集め、店舗は拡大。系列店で腕を磨いた坂口正安氏が、遠縁の山岸氏を誘って昭和26年に開業したのが「中野大勝軒」だ。スタッフの賄い食だったつけ麺が、同店で「もりそば」として初めて商品化されたことから、「つけ麺発祥の地」として知られる。
「人気店の店主といえども、当時、社会的にはなかなか認められませんでした。そこで会員がともに地位の向上を目指すとともに、相互扶助や親睦を目的に設立されたのが『丸長のれん会』です」(前出・坂口会長)
丸長なしに、大勝軒はおろか、つけ麺も存在しなかった──。そんな思いがあったのだろう、山岸氏は「東池袋大勝軒」のマスターとして300人以上の弟子を育てながらも、丸長会の会合にはできるかぎり顔を出していたようだ。
「お店では頭に巻いたタオルがトレードマークでしたが、丸長会では紳士的なふるまいが求められますからね。他の会員同様、会合ではスーツにネクタイ着用でビシッと決めていましたよ。見込みのある若い弟子を連れていき重鎮に“披露”することもあったようです」(大勝軒関係者)
山岸氏を師と仰いだ弟子にとって、丸長会はいわば総本家だ。つけ麺界の最上部組織との合流を受け、「守る会」事務局長の小汲哲郎氏はこう話す。
「私たちが本流だと認めていただいた。このひと言に尽きます」
一周忌を控えた3月22日には、山岸氏を偲ぶ会を執り行う予定だ。
「お世話になった弟子たちが分け隔てなく一緒に集まって、きちんとお別れの挨拶をしたいですね」
こう語る小汲氏の晴れ晴れとした表情は、“勝利”を宣言しているようだった。一方、「のれん会」にもFAXで取材を申し込んだが、丁寧な文面で「お断り」の返答があった。
火葬場事件から始まった300日抗争は、老舗組織の英断で幕切れに向けて大きく動きだしている‥‥。
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