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記事全文を読む→梶原一騎の「御殿と遺品」危機で長男を独占直撃!(1)「帝王」の顔と「父」の顔
漫画原作者として数々の名作を残し「帝王」と呼ばれた故・梶原一騎氏。円熟期に相次ぐ暴力事件が報じられ表舞台から姿を消したが、代表作「巨人の星」開始から50年の今、「梶原御殿」と遺品が危機に直面している。その長男が知られざる父の素顔と事の真相を明かした!
「私は名前が城なので、少年時代は当然のように『あしたのジョー』を夢中になって読んでいました。その他には、野球をやっていたので、『侍ジャイアンツ』が好きでしたね」
懐かしむように柔和な表情で亡き父の作品をあげるのは、漫画原作者や映画プロデューサーとして活躍した故・梶原一騎氏の長男・高森城氏(47)である。
「巨人の星」「タイガーマスク」「柔道一直線」「愛と誠」「男の星座」など、これまで数多くの名作をこの世に残してきた梶原氏。だが一方で、スキャンダルとも隣り合わせの人生だった。
円熟期に入った80年代には講談社社員に対する傷害事件を皮切りに、赤坂のクラブホステス暴行未遂事件が報じられる。人気作家として、また空手団体のトップとして生きた太く短い人生はわずか50年で幕を閉じた。一方で「父」としての梶原氏は、城氏にどう映ったか──。
「3歳の時に両親が離婚して、母に引き取られているので、小中学校時代に父と会うのは年に4回くらい。リビングで一緒に過ごしていると、子供たちに『そこに並んで、1人ずつ順番に歌え』と命じられました。弟が近藤真彦の曲などを歌い、父も気分が乗ったら、アカペラで流行歌を口ずさんでいましたね」
城氏が16歳の時、両親は復縁し、東京・大泉の自宅で暮らし始めた。大きい存在の父親に対する尊敬や憧れはあったが、時折、言いしれない威圧感に襲われることもあったという。
「怒った時は“気”だけで押し潰されるような怖さを感じましたね。背中を向けていても、すぐにわかるんです。父には子育てに明確なルールがあって、それは世間一般で絶対に正しいかではなく、父の中だけで決められていました。例えば、離婚している間、弟は父と暮らしていたので、母のことを『お母さん』と呼びにくかったそうです。てれ隠しもあって下の名前で『あっちゃん』と呼んだら、父が一瞬で血相を変えて、『俺の女房に何て呼び方しているんだ!』と怒号が飛びました」
梶原家では、家の玄関を利用できるのは梶原氏と妻の篤子さんだけで、子供たちは勝手口を使用。梶原氏が帰宅したら、子供たちは必ず玄関に迎えに行くなど、厳格な決まり事があった。一方で、世間的な「父親」の一面も当たり前のようにあった。
「高校生だったある日、門限を決められたことがあって、それが午後5時30分なんです。真夏で太陽も高い。遊びたい盛りなので5時半以降も普通に遊んでいました。ところが帰ってきたら、家の鍵はおろか、雨戸まで全部が閉められているんです。私が慌てていると家の中から父の気配がして、『こんな遅くに帰ってくる子は、うちの子じゃありません~』と、うれしそうな声で言うんです。世間にはダークなイメージを残して他界しましたが、家庭では優しい一面もあった。『教育』という面で手を上げて叱ることはありましたが、決して『暴力』ではなかった。父に本気で殴られていたら、私はこの場にいないでしょう(笑)」
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