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記事全文を読む→リオ直前!あの「五輪ヒロイン」が語る灼熱の激闘秘話!(2)「バレーボール・飯田高子<ミュンヘン・モントリオール>」
“東洋の魔女”の遺伝子を受け継ぎ、日ソ2強時代に活躍した飯田高子(70)。モントリオール五輪で主将を務めた彼女が見たメダリストのリアルは、決して栄光だけでは語れなかった。
バレー選手としてはいい時代に生まれましたね。高校時代に「東洋の魔女」の活躍ぶりと、金メダルを高々と掲げる彼女たちを見て、「どうせやるならあそこまで頑張りたい」と思っていましたが、高校卒業後に入団したテイジンの実業団が約1年で解散。
その後、運よく中京大学から話をいただき、2年遅れで入学。卒業すると、当時一、二を争った強豪実業団・ヤシカに入社しました。
ちょうど同じポジションの選手がヒザを故障し、急きょ助っ人で出た世界選手権でたまたま結果を出してしまい、その流れでミュンヘン五輪の選手にも選んでいただきました。指導者に恵まれていたのと、運がよかったんでしょうね。
ミュンヘンは、決勝まで1セットも落とさずストレートで勝ち進みました。そして、さあソ連(当時)との決勝戦当日! 今から練習に行くぞ! という朝、テロがあったと知らされ決勝は翌日に持ち越されましたが、その影響も感じられないほど、みんな調子はよかった。それはソ連も同じで、試合は第5セットまでもつれ込みました。
その時点で、試合開始から2時間以上たっていました。水分補給もなし、タオルで汗を拭う時間も取れず、いつの間にか私以外の全員がメンバーチェンジしていました。
私にもそろそろ交代の声がかかるだろう‥‥そう思っていた矢先でした。私の、サーブミス。試合の流れが変わった瞬間で、後々まで「飯田の痛恨のサービスフォルト」と言われました。そして私たちは、ソ連に負けたのです。
日本に帰れない、非国民とののしられる──そう思いました。つらかった。涙がこんなに出るのかと思ったくらい、流れました。私たちが銀メダルを持って帰国しても、シャッターを切る報道陣は誰一人いませんでした。
──
64年の東京で金、メキシコ、ミュンヘンともに銀に終わった日本は、76年のモントリオールに「新・東洋の魔女」で奪回に賭ける。
──
私はすでに30歳。若手育成中のヤシカでは試合出場はしておらず、協会に選手登録だけはしている状態でした。そんな時に山田重雄監督から要請があったのです。
「モントリオール五輪で主将をやってくれないか」
ミュンヘンメンバーは私と白井貴子と岡本真理子だけで、若手中心メンバー。私なんかがコートに入るとコケにされたものです。
ですが、「私だって三冠王、ブロック賞やアタック賞を獲っているし、白井にも負けない自負がある。冗談じゃない!」と、主将として迎え入れられたからには、何もかも先頭を切ってやろうと努力しました。
モントリオールも決勝まで勝ち進み、ソ連選手の高齢化もあり、日本は楽勝で金メダルを獲得。決勝戦はベンチキャプテンだった私も、最後の最後に出してもらえて感謝しています。
年齢的にもそこまでやらない予定でしたが、ミュンヘンで選手生活を終えていたら、今の私はいないと思います。金メダル獲得で終えたおかげでこの人生があるんだと、今になってつくづく実感します。
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