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記事全文を読む→夏の甲子園でスターになれなかった男たち(13)“平成の怪物”中田翔は田中将大&斎藤佑樹に力負け
07年のドラフトで4球団から1巡目指名を受け、抽選で日本ハムに入団。プロ入り後はその大物ぶりが際立つ中田翔。そんな中田は高校時代から“平成の怪物スラッガー”として常にその動向が注目されていた。
05年に大阪の強豪・大阪桐蔭へ進学すると1年夏から5番・一塁手でレギュラーの座を掴み、大阪府予選では2本塁打13打点の活躍で、チームを夏の選手権に導く。すると初戦の春日部共栄(埼玉)戦でもいきなり5打数4安打、7回裏の第4打席では決勝の本塁打を放つなど3打点。さらに5回表途中からはマウンドにも上がり、最速147キロを記録。被安打6、6奪三振の1失点に抑え勝利投手にもなった。1年生の本塁打と勝利は83年夏のPL学園(大阪)・桑田真澄(元・巨人など)以来の快挙。華々しいデビューを飾った。
続く3試合でも中田は毎試合ヒットを記録。チームもベスト4へと進出した。そして迎えた準決勝。相手は夏の大会連覇を狙う駒大苫小牧(南北海道)だった。試合は延長10回にもつれ込む熱戦となったが、5-6で惜敗。中田は相手先発の田中将大(現・ヤンキース)からヒット1本を放つも完全なる力負けだった。
その翌年。06年の選手権で中田は不動の4番として姿を現す。優勝候補同士の対決となった横浜(神奈川)戦では3打数2安打の大暴れ。8回裏にはバックスクリーン左へ飛び込む推定140mの特大ソロを放ち、横浜に引導を渡した。しかし2回戦の早稲田実(西東京)戦では、この大会の優勝投手・斎藤佑樹(現・日本ハム)の内角攻めの前に4打数無安打3三振。チームも大敗を喫した。
3年になった’07年の春の選抜で中田は三度、甲子園にやってくる。初戦の日本文理(新潟)戦では先発登板し、7回無失点の好投。だが、4番・中田は無安打だった。
しかし、2回戦の佐野日大(栃木)戦は選抜史上10人目となる2打席連続本塁打で5打点と活躍。チームをベスト8へと導く。その準々決勝の常葉菊川(静岡)戦は再び先発マウンドに上がるも、被安打7の2失点。4番打者としても3打数無安打に抑えられ、1-2で惜敗した。最後の夏は決勝戦で敗退。3年連続の夏の出場は目前でついえてしまった。
それでも中田の高校通算本塁打は当時の新記録となる87本。プロ入り後はその実力に違わぬ活躍で今やチーム不動の4番打者にまで成長した。そして、その先にあるのはサムライジャパン不動の4番の座に他ならない。
(高校野球評論家・上杉純也)
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