1990年8月のイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国際連合が多国籍軍の派遣を決定。1991年1月17日にイラク空爆で火ぶたを切ったのが、湾岸戦争だった。そんな最中、私は桃井かおりの父である、国際政治学者の桃井真氏に大変お世話になった。...
記事全文を読む→スキャンダル
浜辺美波の思わせぶりなつぶやきが、波紋を広げている。6月16日のツイッターで「『君がトクベツ』第9巻かわいすぎましたーーー」「久しぶりに胸きゅんした」などと、少女漫画を読んだ感想を投稿。漫画の表紙と自身の横顔を合成した自撮り写真も、同時にア...
記事全文を読む→「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。あしからず」そんなユニークなテレビCMで藤谷美和子がデビューしたのは、まだ彼女が13歳の時である。その後、人気ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」「池中玄太80キロ」に...
記事全文を読む→田園都市線の二子玉川駅から徒歩10分ほどにある「報徳寺」。山門の傍には手を後ろに組んで歌うおさげ髪の少女の石像があり、そこには「テネシー・ワルツ」の音符が刻まれている。45年の生涯、この曲を歌い続けてきた江利チエミは今、この寺の奥にある墓地...
記事全文を読む→「ウォール街を一緒に歩いていて、色々教えてもらっているうちに、彼がとても頼もしく思えて、急に異性として意識させられたんです。2歳年下だし、弟みたいに思っていたので、いや~、まいったなぁ、って…」1991年1月17日、都内で結婚報告会見を開い...
記事全文を読む→「記念日はひとつに統一したほうが覚えやすいし、まあ、その程度です」2000年1月14日、離婚記者会見を開いた小柳ルミ子は、離婚届を提出した日が、結婚記念日と同じ1月6日だったことを質問され、こともなげにそう答えた。小柳が13歳年下のバックダ...
記事全文を読む→変な話、私は仕事柄、この三十数年で、芸能人の離婚記者会見を数百回も取材してきた。とはいえ、人気商売である以上、その大半が原因を「性格の不一致」「嫌いになったわけでなくて」「お互いを尊重して」と、可能な限り、お互いが傷つかないよう繕うケースが...
記事全文を読む→2009年8月6日、女優の大原麗子(享年62)が自宅で亡くなっているところを発見された。晩年の彼女はギラン・バレー症候群などのため芸能活動を控え、自宅で過ごすことが多かったという。しかしそれが孤独死同然だったことで、世間に与える衝撃は大きか...
記事全文を読む→1985年3月19日、私は東京・元赤坂の明治記念館で行われた、夏目雅子の病状に関する報告会見の場にいた。夏目はこの年の2月、伊集院静氏との結婚後初仕事となる西武劇場(渋谷)での舞台「愚かな女」に出演中に極度の貧血を訴え、緊急入院。だが、医師...
記事全文を読む→1990年1月16日、ハワイのホノルル空港で、肌着の中に薬物を隠し持っていたとの容疑で現行犯逮捕された勝新太郎。急遽、ハワイで開かれた記者会見では、「なぜ肌着の中に入っていたか、わからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もう肌着をはかな...
記事全文を読む→昭和・平成の時代には、集まった記者たちをうならせる、型破りな記者会見も少なくなかった。おそらくその代表格といえるのが、隠し子発覚騒動の際に、お得意の「霊界話」を持ち出し、報道陣を圧倒した丹波哲郎ではなかろうか。当時66歳だった丹波が会見を開...
記事全文を読む→〈おやじ、涅槃で待っている〉そんな遺書を残して、沖雅也(当時31歳)が、高さ170メートルの新宿「京王プラザホテル」47階から飛び降りたのは、1983年6月28日だった。翌29日、所属プロダクション「JKプランニング」の社長で、沖の養父だっ...
記事全文を読む→映画「赤ちょうちん」で1974年にデビュー。「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」と発言するなど、個性派女優として人気だった秋吉久美子が、音楽ディレクターと結婚したのは79年だ。妊娠中にふと漏らした「おなかが大きくなる...
記事全文を読む→北海道を走る留萌線の終着駅・増毛(ましけ)。暮れも押し迫った12月30日、赤提灯が灯る小さな居酒屋に、連絡船の欠航で所在ない男が入っていく。それは高倉健扮する警察官で、元オリンピック射撃選手。女手ひとつで店を切り盛りするのは、倍賞千恵子扮す...
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