ミスタープロ野球は、酒席でもすこぶる破天荒だった。それは長嶋茂雄の巨人第二次政権時のこと。宮崎での春季キャンプ中、食事をしてから二次会でカラオケスナックに繰り出すことがあった。プロ野球メディア関係者が振り返る。「だいぶ酒が入った頃合いで、同...
記事全文を読む→長嶋茂雄
かつて長嶋茂雄が現在の田園調布に移る前、世田谷区の高級住宅地に住んでいた頃のことだ。球場に行く途中、自らが運転する車で一方通告をうっかり逆走してしまった。そこへたまたま、警察が交通整理をしていた。ミスターは「どうも、お疲れ様です」と窓を開け...
記事全文を読む→松井秀喜氏が弔問で口にした「長嶋監督と生前に交わした約束」とはいったい、何だったのか。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の訃報を受けて、松井氏はニューヨークから緊急帰国し、ミスターの自宅で遺体と対面すると、報道陣にこう語った。「ここでは詳しく話せま...
記事全文を読む→「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏(享年89)が星になった。2004年3月4日、68歳の時に脳梗塞で東京女子医大病院に搬送されてから、肺炎で永眠するまで、24年間も病と闘い続けてこられたのは、言うまでもなく「不屈の精神」があったからだ。緊急入院...
記事全文を読む→巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が6月3日早朝、逝去した。日本中から追悼の声が出ているが、ミスターは実は下ネタ好きだった。打撃指導の際には、「真ん中にブラ下がっているモノを軸足の方に移動させて、逆サイドに振り、巻き込むように」そう言って選手のイ...
記事全文を読む→6月3日朝に死去した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の晩年は、病気との闘いの連続だった(写真は自宅に運び込まれるミスターの棺)。ミスターが表舞台から一時、姿を消す原因となったのは、あの2004年3月の脳梗塞だ。右半身に麻痺が残り、言葉を話すのが不...
記事全文を読む→6月3日に89歳の生涯を終えた「ミスタープロ野球」巨人の長嶋茂雄終身名誉監督の言動は、常人には想像もつかない「斜め上」をいっていた。それは今から30年以上前のこと。とある立教大学OBの祝賀パーティーが、都内ホテルで催された。野球で名を遂げた...
記事全文を読む→肺炎のため亡くなった巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督が、なんと愛弟子の松井秀喜氏に「独自の女遊び」を指南したことがあった。まだ、若かりし頃の松井氏と、当時人気だったタレント・早坂好恵との交際が囁かれていた時期のことだ。当時、松井氏には高校時代か...
記事全文を読む→テリーこの本を読むと、辛口の江本さんが、長嶋(茂雄)さんのことになると急に大絶賛ですよね。江本あの人は神様ですから。何やっても大丈夫なんですよ(笑)。テリー僕も大好きなんですけど、改めてどういうところが。江本僕が小学校4、5年生で野球を始め...
記事全文を読む→長嶋茂雄が現役を引退した1974年のオフ、日米野球が開催された。来日したのはニューヨーク・メッツで、11月2日に対全日本軍第6戦が後楽園球場で行われた。その試合前に「世紀の対決」が実現していた。日米の本塁打王である、王貞治とハンク・アーロン...
記事全文を読む→「巨人 VS 広島」セ・リーグ公式戦・1996年7月9日「メークドラマ」とは、元巨人監督・長嶋茂雄の造語だ。ミスターは野村克也率いるヤクルトが優勝した1995年から、選手たちを鼓舞するために使い始めた。この言葉が「流行語大賞」の年間大賞に選...
記事全文を読む→「野球選手の子供…長嶋一茂さんとか、野村克則くんとかいますけど、アメリカに比べて多くないのかって…」これは野球解説者の岡崎郁氏がYouTubeチャンネル〈アスリートアカデミア【岡崎郁公式チャンネル】〉の11月26日の動画で、プロ野球選手の2...
記事全文を読む→他球団の選手同士が〝呉越同舟自主トレ〟で仲よしこよし。危険な投球にも、せいぜい打者が投手をにらむ程度で手は出さない。そんな「優等生」ばかりがあふれかえる令和のプロ野球とは対照的に、かつてはコンプラ度外視で首脳陣から選手までが大炎上!放送禁止...
記事全文を読む→2024年5月3日、東京ドームでの巨人対阪神7回戦。5回裏が終わると、大観衆から歓声が起こった。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督が「4番、サード長嶋、背番号3」のアナウンスとともに車いすに乗って登場した。沸き起こった声援に左手を振って応えた。この...
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