松井秀喜氏が弔問で口にした「長嶋監督と生前に交わした約束」とはいったい、何だったのか。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の訃報を受けて、松井氏はニューヨークから緊急帰国し、ミスターの自宅で遺体と対面すると、報道陣にこう語った。
「ここでは詳しく話せませんが、その約束を必ず果たしたい」
両者の縁は1992年秋のドラフトに遡る。当時、石川県・星稜高校の主砲だった松井氏は、巨人を含む4球団のドラフト1位指名で競合し、運命のくじを引き当てた長嶋監督率いる巨人に入団した。1年目の1993年、高卒ルーキーながら11本塁打を記録し、1994年には打率2割9分4厘、20本塁打をマークするなど、若くしてチームの中心に成長した。
松井氏は当時、ミスターの「4番1000日構想」のもと、打撃フォーム矯正や精神面の鍛錬を直伝され、「素振りを通じて大切なことを教わった」「あの指導がなければ、ここまで成長できなかった」と振り返っている。
2002年オフにメジャー挑戦を決断し、2003年からニューヨーク・ヤンキースでプレー。ヤンキース在籍中にはオールスターに選出され、日米通算2643安打(NPB1390安打+MLB1253安打)を記録するなど、輝かしい実績を残した。 2013年5月5日にはミスターとともに国民栄誉賞を受賞し、松井氏は受賞式で「恩師と同じステージに立てたことは、生涯忘れられない喜び」と語っている。
現役引退後、松井氏はヤンキースのGM付特別アドバイザーとしてマイナーリーグの指導に携わり「今こうして指導する時に『だよね』と監督に共感する気持ちがある」と語るなど、ミスターをリスペクト。この経験を踏まえて「すぐに監督に就くのではなく、まずは指導法を学びたい」という姿勢を見せてきた。
ではミスタープロ野球が世を去る前に愛弟子に託した「約束」は、何を意味するのか。当然ながら、思い描くのは「近い将来、巨人の指揮官になるのではないか」というものだろう。
ミスターは生前、若手選手や将来の指導者育成に力を注いでおり、松井氏が胸に秘める約束は「恩師の遺志を受け継ぎ、チームを率いる」との意味合いを帯びている可能性は十分にある。松井氏がいつ、どのように「約束」を果たすのか。「その時」を楽しみに待ちたい。
(ケン高田)