映画「仁義なき戦い」、そしてそのセリフはなぜ人々の心をこうも打つのか。何よりも際立つのはその生々しさだと、映画史家の伊藤彰彦氏は言う。「1973年、笠原和夫が美能幸三氏原作の、まだ湯気も立っているような広島の複雑な抗争を脚本するにあたって、...
記事全文を読む→仁義なき戦い
《神輿が勝手に歩けるゆうんなら歩いてみないや、おう》第1作で、権謀術策を用いて部下を使い捨てにする山守組長との対立を深める若頭・坂井。その2人の対立が決定的になった場面で、坂井が山守にぶつけるセリフである。ヤクザの世界では親分が絶対。それが...
記事全文を読む→5月11日、傑作映画の上映イベントに登場した北大路欣也。「仁義なき戦い」第1作を観た時に「激しい波動」に揺さぶられ、第2作の出演をみずから監督、プロデューサーに直訴したという思い出を語った。公開から50余年を経た今でも観る男たちの胸を躍らせ...
記事全文を読む→元プロ野球選手で現在はタレントとして活躍中の長嶋一茂氏。1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズと横浜大洋ホエールズの2球団から1位指名を受け、抽選の結果ヤクルトが交渉権を得て、一茂氏の入団が決定した。その一茂氏が、元プロ野球選手・高木...
記事全文を読む→去る1月21日に自宅で亡くなったことがわかった宍戸錠(享年86)。実録映画の金字塔「仁義なき戦い完結篇」(74年、東映)では、狂犬のような大友勝利に扮した。同作品の中で、松方弘樹扮する市岡輝吉と小料理屋で顔を突き合わせているシーンがある。そ...
記事全文を読む→また一人、昭和の名優がこの世を去ってしまった。1月18日、“エースのジョー”の愛称で親しまれ、日活の黄金期を支えた俳優の宍戸錠さんが亡くなった。宍戸さんといえば、悪役キャラを際立たせるために液状パラフィン「オルガノーゲン」を注入する豊頬手術...
記事全文を読む→梅宮最長の主演シリーズであるコメディアクション「不良番長」シリーズ(68~72年、東映)出演時には、同作で共演した山城新伍との珍エピソードを残している。出演した新人女優の名付け親となった梅宮は、そのお礼として彼女と一夜を共にした。ところが、...
記事全文を読む→またひとり、昭和を代表する豪胆な俳優が逝った。その名は梅宮辰夫──。12月12日に81年の生涯を終えたが、アサ芸だけが知る無頼な秘話を追悼公開しよう!映画監督・ライターの杉作J太郎氏は、何度も取材を重ねた俳優、そして人間・梅宮辰夫の魅力をこ...
記事全文を読む→映画監督・ライターの杉作J太郎氏は、何度も取材を重ねた俳優・梅宮辰夫の魅力をこう語った。「一見サラッと軽い印象ですけれど、スターとしての誇りと自負を誰よりも強く抱えている人でしたね」〈広島極道はイモかもしれんが、旅の風下に立ったことは一遍も...
記事全文を読む→俳優の名和宏さんが、急性腎不全のため都内の病院で死去したのは6月26日午前7時32分のこと。享年85。様々なニュースなどでは、テレビ・映画・時代劇などで悪役を数多くこなしたバイプレーヤーとして紹介され、代表作として「仁義なき戦い」が大きく取...
記事全文を読む→男の色香にあふれ、そして、豪放な伝説を数多く残して冥土へと旅立った。その背中は「昭和最後の俳優」と呼んでも過言ではなく、奔馬のように74年の生涯を烈しく駆け抜けた男──松方弘樹。週刊アサヒ芸能にもゆかりの深い役者であったが、まだ知られざる逸...
記事全文を読む→十二指腸乳頭部がんを発症し、今年7月、十二指腸のすべてと胃やすい臓などの一部を切除するという大手術を受けた俳優の梅宮辰夫が、12月1日の「バラいろダンディ」(TOKYO MX)に登場した。「体重が落ちているのが悩み」と本人が語った通り少し痩...
記事全文を読む→溺愛する愛娘・アンナが顔を見るなり怯えて泣いた瞬間がある。東映が実録路線にシフトし、記念碑的なヒット作となった「仁義なき戦い」(73年)である。その第3作「代理戦争」(73年)に梅宮は、神戸の巨大組織・明石組の岩井信一役で出演。モデルとなっ...
記事全文を読む→〈不良性感度〉で銀幕を暴れまくり、俺たちをシビれさせた荒ぶる役者たち──松方弘樹、梅宮辰夫、渡瀬恒彦と、いずれ劣らぬクセ者たちが今、重大な危機に直面している。およそ半世紀にわたって縁の深い3人にエールを送る形で、その闘病と苛烈な役者稼業を克...
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