テリー僕、その頃「天才たけしの元気が出るテレビ!!」の演出をやっていたでしょう。ライバル番組の「イカ天」の弱点はどこだろう、と思って見ていたんです。銀次さすが、そこはプロの目線ですね。テリーそれで気づいたんです。「この子たちは確かに歌や楽器...
記事全文を読む→週刊アサヒ芸能 2020年 3/5号
テリー当時のタモリさんってイグアナとか四カ国語麻雀とかやっていて、マイナーで深夜の香りがしていたから、お昼番組の起用なんて大英断ですよね。銀次僕も「ウソだろ?」って驚きました。ばんばひろふみさんの「SACHIKO」を書いた、小泉長一郎さんの...
記事全文を読む→テリーその頃から将来はミュージシャンになろうと決めていましたか。銀次もちろん憧れはあったんですが、高1の頃にはずっとアマチュアでいようと思っていました。テリーえっ、そりゃまたどうして。銀次ザ・スパイダースやザ・タイガースみたいなグループサウ...
記事全文を読む→●ゲスト:伊藤銀次(いとう・ぎんじ)1950年、大阪府生まれ。72年、バンド「ごまのはえ」のシングル「留子ちゃんたら」でデビュー。大滝詠一にプロデュースを依頼したことを機に、はっぴいえんどの解散コンサートにバンド名を「ココナツ・バンク」に改...
記事全文を読む→大ぶり「生カキ」と濃厚「半生鳥レバー」刺し身はメニュー表記以上の8点盛りオープンから2年になる「よしだ海岸」。その名の通り、魚屋出身の大将が確かな目利きと腕で料理する魚介系のつまみがうまい店。なじみのない人ならば「ちょっと一杯」というノリで...
記事全文を読む→さて、それまでまずは順風満帆、淡々とした政治家生活だった三木が、初めて闘争心を露わにしたのは、睦子との結婚生活がキッカケのようであった。それは、三木の「男は勝つまで、何度でも勝負する」といった言葉に表れている。三木は、「政治の近代化」「反官...
記事全文を読む→「睦子が男として生まれていたら、間違いなく三木より先に総理大臣になっていただろう」という声は、後年、三木武夫を知る政財界の中で定着していた。「昭和電工」を創業、「森コンツェルン」の総帥にして経済界の一翼を担った森矗昶(のぶてる)の二女で三木...
記事全文を読む→ちょっとつまずいただけで骨折してしまい、病院に駆け込んだら「骨粗しょう症です」と医師に言われて衝撃を受けるケースがある。「骨粗しょう症」とは、骨密度の低下や骨質の劣化などで骨の強度が低下し、中身がスカスカになり、骨折しやすくなる病気。閉経後...
記事全文を読む→2月12日に、29歳の誕生日を迎えたばかりの弘中アナ。「誕生日に行われた囲み会見では『30歳になってももっとかわいくなる』と美容分野にさらに本腰を入れることを明かしていました。3月公開のアニメ映画『ドラえもんのび太の新恐竜』の完成試写イベン...
記事全文を読む→そして、石川の演歌歌手としての地位を決定づけたのが、86年の「天城越え」だった。「この曲で『新演歌の女王』と呼ばれるようになり、3人とは一線を画したスター街道を歩むことになった。『天城越え』について『私にはまったくわからない世界』だったと言...
記事全文を読む→当時、石川は離婚後に世田谷区内に購入した110坪の土地に、鉄筋3階建の「さゆり御殿」を建設して住んでいたが、01年にはあえなく売却。バブル崩壊の余波もあり、不動産価格が大幅に下落している中で苦境に立たされていた。その後、石川は両親とともに賃...
記事全文を読む→もちろん、今が旬と人気絶好調の弘中アナだけに、男性人気も絶大だ。「テレ朝アナウンス部は在京民放テレビ局の中で最も先輩後輩の垣根がなく風通しがいい。某局のように、お局アナが若手を叱責することも少ない。仲がよすぎて、社内不貞が頻発するのが玉にキ...
記事全文を読む→そもそもテレビ局員である女子アナがYouTubeを席巻しているのも異例なことだが、弘中アナは局の社員という既成の枠を飛び越えた規格外の活動を展開してきた。昨年7月にはテレ朝系のネット番組AbemaTVで「ひろなかラジオ」の放送が開始。「アナ...
記事全文を読む→2月9日に開催された米の映画の祭典・アカデミー賞にて、オール韓国語のバリバリの韓国映画「パラサイト半地下の家族」が作品賞を受賞し、大きな話題になりました。さらに、基本的に映画館では上映せず、ネットからの配信を主とする、ネットフリックス制作の...
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