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記事全文を読む→女優・大原麗子の情念、まるで麗子が乗り移っている
もう二度と、大原麗子のような女優は現れないのかもしれない‥‥。映画・ドラマ・CMで重宝される美貌があり、大ヒット作を続々と生み出す人気と実力があり、時には小悪魔のような言動で男たちを惑わす。そんな大原麗子は、人生のすべてが「劇場」と「激情」の間で揺れ動いた──。
その“異変”は今年2月10日のことだった。09年8月3日に亡くなった女優・大原麗子(享年62)の自宅にて、追悼ドラマ「女優 麗子~炎のように」(3月6日放映、テレビ東京)の撮影が行われていた。
ロケに立ち会った麗子の弟・政光は、麗子役の内山理名の演技をモニターで見て驚いた。
「それまでの撮影では感じなかったのに、急に姉の声とそっくりになっていたんです。声だけじゃなく、指の動きなどしぐさまで似ていて鳥肌が立ちました」
それは、麗子がそこへ“降りてきた”ことの発露かと思えた。そういえば麗子は、晩年になって霊感が強くなったと言ったことがある。麗子は84年に森進一と離婚しているが、それから何年も経って息苦しさを覚えることがあった。
「森さんのお母さんが背中にのしかかってるの」
森の母親は73年に自殺しており、麗子との密な接点はない。それでも麗子は森の妹とともにお墓参りに行き、以降はラクになったと政光に伝えている──。
大原麗子とは、稀有な生涯を歩んだ女優である。映画・ドラマを中心に膨大な数の出演作を持ち、男女問わず高い好感度を誇った。ただし、私生活では2度の結婚・離婚やたび重なる闘病があり、最期は誰にも知られず息を引き取っている。華やかさと孤独を表裏一体で身にまとい、単なる美人女優と違う特別な存在感を放ち、死去から3年以上が経っても人々の記憶から薄れることがない。
日本歌手協会の代表理事・田辺靖雄は、そんな麗子のスタートに関わった1人だ。時は1961年、田辺は六本木を根城に明日のスターを夢見る不良の若者たちが集まった「野獣会」の一員にいた。峰岸徹、井上順など、ここから次々と芸能界へスカウトされていったが、田辺もまた渡辺プロからデビューを飾っている。
田辺が初めて映画に出ることになった「高校生と女教師 非情の青春」(東宝)のロケでのことだ。
「ジャズ喫茶で歌う場面で、客席のエキストラに彼女がいたんですよ。ちょっとトッポい感じだけど、すごくかわいい子。それで『野獣会に入らないか?』って声をかけたんです」
田辺が16歳、麗子は15歳だった。すでに芸能界への意欲を燃やしていた麗子は、二つ返事で「野獣会」の一員となった。これで30人ほどの大所帯となったが、当時の麗子は、後の姿とはまったく違ったという。
「短髪のリーゼントだったんですよね。すごくボーイッシュだったし、小柄なことから『ビッチ(チビの逆)』って呼んでいたんですよ」
男まさりな面もあったが、誰からも「キミはおもしろい」と可愛がられた。やがて映画関係者の目にとまり、65年には東映の専属となる。その時期に麗子と会った田辺は、駆け出しながらも「私は女優よ」と口にする姿をほほえましく見ていた。
そんな麗子から最後に電話があったのは、亡くなる1年ほど前のこと。
「ヤッチンに『野獣会』に誘ってもらわなかったら、私は女優になってなかったのよね‥‥」
当時の麗子は心身のバランスを崩し、多くの人に長電話で愚痴をこぼしているとの風評があったが、旧友に対してはしおらしかった。田辺は、幼なじみであり、かつて淡い恋心を抱いた麗子が、どういう日々を送っているのかと不安に駆られた。
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