日本中を震撼させたあの「神戸児童連続殺傷事件」から、まもなく20年がたとうとしている。しかし、遠い昔の出来事だった記憶も、2015年6月に突如として呼び覚まされた。あの「酒鬼薔薇」が自らのホームページを立ち上げ、半生を綴った「絶歌」という“...
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オウム報道は、事件発生から20週連続で暴き続けた「平成の闇」を象徴する事件であった。日本国内初の殺戮テロ事件を引き起こしたあの殺人教団「オウム真理教」。事件発生当時から、教団の“性の営み”を抉り出すスクープを連発した。教祖・麻原彰晃の性への...
記事全文を読む→「昭和から平成へ」と改まった1989年、年末の大納会では日経平均株価3万8915円87銭をつけた。だが、翌90年は、年初来続落、10月には2万円割れと、世紀末90年代の幕は株価暴落とともに開いた──。そんな時代を襲った、殺人鬼、オウム、大震...
記事全文を読む→80年代にも若者による陰惨きわまる事件が相次いだ。友人の家にたむろする不良少年グループによる凄惨な殺人。幼女への異常な執着を抑えきれずに次々と誘拐殺人を犯した宮崎勤。この2つの事件はいまも人々の記憶から消えない。綾瀬コンクリート詰め殺人は、...
記事全文を読む→80年代の特徴としてマスコミ報道の過熱ぶりがある。ENG(ニュース取材用ビデオカメラ)でワイドショーが機動力を増し、写真週刊誌の登場もあり芸能スキャンダルから犯罪事件までカメラ・スクラムが繰り広げられるようになった。81年から82年にかけて...
記事全文を読む→証券関連雑誌を発行していた投資ジャーナル社の株式の不正売買、大型詐欺、いわゆる「投資ジャーナル事件」はバブル期を代表する事件であった。さらに、同社主宰の中江滋樹氏の交遊関係に注目が集まり、清純派アイドル歌手倉田まり子と一緒に写した写真が流出...
記事全文を読む→2000億という巨額のカネを老人から騙し取った豊田商事の永野一男刺殺事件。その素顔に迫ると、永野と関係の会った女性が著名な占い師を訪ね、極秘相談していたことが判明した。全身13カ所をメッタ刺しにされて惨殺された豊田商事の永野会長──。85年...
記事全文を読む→一方、入浴中の社長が拉致されるという荒っぽい誘拐劇で幕を開けたグリコ事件。記者は河川敷に車を停め、車内でデート中のアベックがいきなり襲われた事件を採りあげている。22歳と18歳のカップルはモデルガンや包丁、ライフル銃を持った3人組に脅され、...
記事全文を読む→1985年の阪神優勝とともに、関西発の事件が多かったのも80年代の特徴だった。その代表がここに紹介する3つの事件。欲と色が複雑に絡んだ事件に斬りこんだ。81年3月25日、三和銀行(当時)大阪茨木支店において1億3000万円の架空入金が発覚す...
記事全文を読む→79年1月26日の午後、大阪市の三菱銀行北畠支店に猟銃をもった男が押し入ったのが“悪夢”の発端だった。犯人は梅川昭美(うめかわあきよし)。ナイトクラブの従業員で、かさんだ借金の返済が犯行の動機だった。銀行に押し入った梅川はカウンターにいた行...
記事全文を読む→この70年代は“愛”につまずくエリートや芸能人も目立った。73年9月20日号が取材しているのは、38歳の立教大学・大場啓仁(おおばひろよし)助教授が妻子4人で伊豆半島の石廊崎(いろうざき)から飛び降り心中をした事件だ。自ら死を選んだ原因は大...
記事全文を読む→この「あさま山荘事件」の後、彼ら連合赤軍が12人もの同志をリンチ殺害していたという驚愕の事実が判明した。ローラー作戦で都内を追われた連合赤軍のメンバーは榛名山、迦葉山(かしょうざん)、妙義山といった群馬県内の山を“ベース”として渡り歩きなが...
記事全文を読む→翌72年、日本中の耳目を集めたのが「あさま山荘事件」と、その事件を通じて判明した凄惨な「連合赤軍リンチ殺人事件」であった。事件の概要を簡単に説明しておこう。71年の秋ごろから警視庁による「アパート・ローラー作戦」が展開されたため、連合赤軍の...
記事全文を読む→群馬県を舞台に連続暴行殺人をはたらいたのは、71年当時、36歳の大久保清であった。牛乳販売店をしていたが、商売は芳しくなかったという(離婚もしていた)。年少のときから素行不良で、20歳のときに女子高生に乱暴して松本刑務所へ入所。67年には2...
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