その「池田小児童殺傷事件」の殺人鬼、宅間守のことを思い起こさせたのが、16年7月26日未明に起きた戦慄の「相模原19人刺殺事件」である。戦後最凶の刺殺事件は、数秒ごとに1人のペースで無抵抗の入居者を殺害した犯行だった。殺人鬼の名は、植松聖(...
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あの阿鼻叫喚の地獄絵図の一報を聞いたときの記憶が忘れられない。出刃包丁を手にした金髪の殺人鬼・宅間守が白昼の小学校を襲い幼い命を次々と奪った殺人現場はあまりにも凄惨だった。事件直後、記者は実父に6時間インタビュー。そして、拘置所移管後には、...
記事全文を読む→2年7カ月に及ぶ逃亡を経ての逮捕劇はテレビ報道の演出もあって大きな関心を集めた。おまけに逃亡の記録を出版するという、稀有な殺人者──。千葉・市川の自宅ベランダで殺害された英会話学校女性講師の遺体が発見されたのは07年3月のことだった。逮捕後...
記事全文を読む→事件は殺害の実行犯やストーカー行為を手伝った仲間ら13人の逮捕者を出したが、主犯の小松の行方はようとして知れなかった。だが、翌年1月27日、北海道弟子屈町の屈斜路湖で遺体で発見される。99年2月10日号はその模様をこう伝えている。〈白鳥を撮...
記事全文を読む→いま思い起こしても、卑劣極まりない事件のひとつといえるだろう。桶川駅前で刺殺された21歳の美人女子大生。事件の鍵を握っていたのは彼女にしつこくつきまとっていたかつての交際相手だった。実は、事件の一報を伝えた1999年11月18日号で、ほぼ犯...
記事全文を読む→そしてその遺体に施されていた驚くべき所業について、こう記している。〈「遺体を鋭利な刃物で両側をそれぞれ6.7センチ、深さ2センチにわたり切られているほか、右前額部の表皮がはがれてい頭皮下に出血。左右の目を『X』印に切り刻まれていました。この...
記事全文を読む→日本中を震撼させたあの「神戸児童連続殺傷事件」から、まもなく20年がたとうとしている。しかし、遠い昔の出来事だった記憶も、2015年6月に突如として呼び覚まされた。あの「酒鬼薔薇」が自らのホームページを立ち上げ、半生を綴った「絶歌」という“...
記事全文を読む→オウム報道は、事件発生から20週連続で暴き続けた「平成の闇」を象徴する事件であった。日本国内初の殺戮テロ事件を引き起こしたあの殺人教団「オウム真理教」。事件発生当時から、教団の“性の営み”を抉り出すスクープを連発した。教祖・麻原彰晃の性への...
記事全文を読む→「昭和から平成へ」と改まった1989年、年末の大納会では日経平均株価3万8915円87銭をつけた。だが、翌90年は、年初来続落、10月には2万円割れと、世紀末90年代の幕は株価暴落とともに開いた──。そんな時代を襲った、殺人鬼、オウム、大震...
記事全文を読む→80年代にも若者による陰惨きわまる事件が相次いだ。友人の家にたむろする不良少年グループによる凄惨な殺人。幼女への異常な執着を抑えきれずに次々と誘拐殺人を犯した宮崎勤。この2つの事件はいまも人々の記憶から消えない。綾瀬コンクリート詰め殺人は、...
記事全文を読む→80年代の特徴としてマスコミ報道の過熱ぶりがある。ENG(ニュース取材用ビデオカメラ)でワイドショーが機動力を増し、写真週刊誌の登場もあり芸能スキャンダルから犯罪事件までカメラ・スクラムが繰り広げられるようになった。81年から82年にかけて...
記事全文を読む→証券関連雑誌を発行していた投資ジャーナル社の株式の不正売買、大型詐欺、いわゆる「投資ジャーナル事件」はバブル期を代表する事件であった。さらに、同社主宰の中江滋樹氏の交遊関係に注目が集まり、清純派アイドル歌手倉田まり子と一緒に写した写真が流出...
記事全文を読む→2000億という巨額のカネを老人から騙し取った豊田商事の永野一男刺殺事件。その素顔に迫ると、永野と関係の会った女性が著名な占い師を訪ね、極秘相談していたことが判明した。全身13カ所をメッタ刺しにされて惨殺された豊田商事の永野会長──。85年...
記事全文を読む→一方、入浴中の社長が拉致されるという荒っぽい誘拐劇で幕を開けたグリコ事件。記者は河川敷に車を停め、車内でデート中のアベックがいきなり襲われた事件を採りあげている。22歳と18歳のカップルはモデルガンや包丁、ライフル銃を持った3人組に脅され、...
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