「第6回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の最大の被害者は、オリックスかもしれない。WBCは決勝でベネズエラが3-2でアメリカに勝利し、初優勝を飾った。ベネズエラ国内では優勝を祝うため、翌日を国の祝日にするなど大盛り上がりだった...
記事全文を読む→天才テリー伊藤対談「船山基紀」(3)阿久悠先生の原稿はカッコよかった
テリー 船山さんのお仕事が大きく注目されたのは、やはりジュリーの77年の大ヒット曲「勝手にしやがれ」ですよね。
船山 ええ。当時僕はまだ26歳で、それまで「ヤマハ音楽振興会」という会社で、主に「ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)」の応募作の編曲をしていたんです。その頃担当していた中島みゆきさんなんかは、1人でフラッとスタジオに来て歌って帰る、みたいな感じだったんですが、沢田さんの時は、スタジオに事務所スタッフをはじめ関係者がずらっと並んでいたので、ビックリしちゃって。「これが芸能界の仕事なのか!」って、その瞬間にビビってしまいました(笑)。
テリー フフフ、ヒット曲を作らないとタダではすまさないぞ、みたいな感じですね。
船山 まあ、沢田さんはめちゃくちゃ優しい人なんですけどね。ご本人には日本レコード大賞受賞の時にやっとお会いできて、「ありがとう」と声をかけてもらえたのが強く印象に残っています。
テリー 作詞された阿久悠さんから、何か注文などはあったんですか。
船山 いえ、僕には特になかったです。(作曲家の)大野克夫先生との間では、多少のやり取りはあったかもしれませんけれど。
テリー この曲以降も、阿久さんとは「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「OH!ギャル」など沢田さんの名曲をたくさん手がけられて、一大ブームを巻き起こした感じがありましたよ。
船山 阿久先生って、詞の原稿に表紙を自作して付けているんですよ。例えば「勝手にしやがれ」なんてタイトルが直筆で書いてあるんですけど、それがまたイラストみたいに処理されていて実にカッコいいんです。全部捨てちゃったんですが、今考えるともったいなかったですね。
テリー ええっ、そんな貴重なものを!? 「勝手」はその年の日本レコード大賞も獲ったんですから、それだけでも取っておけばよかったのに‥‥。
船山 当時の僕って、本当に学生気分の抜けないチャラチャラしたヤツだったんですよ。当時、自分にとっての音楽といえばFENのトップ30とかで、日本の歌謡界、日本レコード大賞や日本歌謡大賞みたいなものをまったく知らなくて、それで大恥をかいちゃった。
テリー ええっ、何があったんですか?
船山 レコード大賞の前に「輝け!日本歌謡大賞」の放送があったんですが、その時、自分が何のために呼ばれたのかよくわかっていなくて、セーターとジーパン姿で会場に行っちゃったんですよ。で、いざ到着してみると、皆さん、スーツ姿で並んでいて。
テリー そりゃそうですよね(笑)、授賞式も兼ねているんですから。
船山 それがものすごく恥ずかしくて、控え室でずっと下を向いて、縮こまって座っていたんです。僕から少し離れて大野先生と阿久先生が座っていらして、「勝手」の大賞受賞が発表された瞬間に、阿久先生が「おい、(ステージに)行くぞ」って、僕にだけ声をかけてくれたんですよ。きっと「あいつは勝手もわからず来ちゃっているんだ、かわいそうに」と思われたんでしょうね。そのひと言が涙が出るほどうれしかったです。
テリー 編曲の仕事を始められたのが74年。わずか3年でレコード大賞を獲っちゃうなんて、あらためて考えてもすごいことですよ。
船山 ええ、やっぱり『運』ってあるものですね。大変でしたが、貴重な時間を過ごせたと思います。
アサ芸チョイス
スマホの通知に追われる日常から、少し距離を置く。そんな「デジタルデトックス」では、若者が編み物や日記、フィルムカメラといったアナログ趣味にハマるケースが報告されているが、この流れは中年層にもじわじわと波及している。その背景にあるのは、仕事で...
記事全文を読む→3月17日の明治学院大学白金キャンパスは、卒業式に出席したスーツ姿の男子学生や袴姿の女子学生で華やいでいた。その中でも、花柄ベージュ色の袴でひときわ目を引いていたのが、元「モーニング娘。」の北川莉央である。アイドルウォッチャーが解説する。「...
記事全文を読む→4月29日公開予定の映画「SAKAMOTO DAYS」。原作は「週刊少年ジャンプ」で連載中の鈴木祐斗による漫画で、ストーリーは次のような感じだ。「かつて伝説の殺し屋として恐れられていた男・坂本太郎は、ある女性に恋したことを機に殺し屋を引退。...
記事全文を読む→

