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記事全文を読む→歴代総理の胆力「池田勇人」(4)聖火が消えるのを待って去る
酒豪、ヘビー・スモーカーだった池田に喉の異変があり、これがやがて癌と診断され、政権の激務に耐えられないところに至ったからだった。
酒もタバコも旧制高校時代からで、例えば酒は総理になった頃が“ピーク”だった。まずビールをグラス2杯、次いで郷里・広島の銘酒「賀茂鶴」を2、3合、さらにウイスキーのハイボールを2、3杯空けた後、ブランデーで〆るというものだった。
これがほぼ毎日で、酔えば持ち前のガラガラ声で、周囲に♪花もォ、嵐もォ、踏み越えてェ~と「愛染かつら」を聞かせるのが“定番”だった。時に、自ら歌詞の情感に涙するなどの、義理人情に弱い男でもあった。そんな人柄も、周囲から愛され、人が集まった要因であった。
退陣の「首相談話」は、昭和39(1964)年10月24日の東京五輪の閉会日の翌25日に設定、発表された。これは、側近の大平正芳による「聖火の消えるのを待って政権も去る」というドラマチックな演出ということであった。
退陣後、国立がんセンターに入院、治療を受けていた池田は、自ら後継に指名した佐藤栄作の内閣発足初の臨時国会所信表明演説をテレビで見ながら、こう舌打ちをした。
「あれじゃダメだ。佐藤君は勉強しておらんなぁ。まったくなってない」
その翌40年8月13日、根治手術のかいなく死去したのだった。
戦後総理の中で、闘病生活なども含め、最も波乱に富んだ人生を送った一人が池田であった。「開き直り」の人生でもあった。妻・満枝は「池田はやりたいことをやらせて頂きました。心置きなくあの世に旅立ったものと思っています」と頭を下げたのであった。戦後日本が新たな針路を求め、あがき続けた中での「所得倍増計画」という池田の大仕事が終わったということであった。池田が退陣した直後のフランス「ル・モンド」紙は、こう報じた。
「池田氏は1960年代における日本の反米エネルギーを、経済問題に向かせることに成功した。池田氏の政権後半になって経済成長の過熱が問題になってきたが、池田氏の最大の功績は、日本国民に対して日本は豊かな社会を実現できる能力があることを教えたことにある」
■池田勇人の略歴
明治32(1899)年12月3日、広島県生まれ。京都帝国大学法学部卒業後、大蔵省入省。難病を得て休職。復職後、大蔵次官。議員1年生にして、蔵相。昭和35年7月第一次内閣組織。総理就任時59歳。昭和40(1965)年8月13日、ガンのため死去。享年65。
総理大臣歴:第58~60代 1960年7月19日~1964年11月9日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
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