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記事全文を読む→新大関・琴奨菊の土俵際がぶられまくり伝説(2)朝青龍の顔は 見たくない!
琴奨菊は福岡県柳川市出身。建設会社社長の三男として生まれた。本名は菊次一弘。
福岡出身の大関としては魁皇が有名だが、幼い頃、大相撲一行が柳川を地方巡業で訪れた。その際、当時の貴花田の膝に抱かれて記念撮影に収まったことが、菊次少年にとって相撲を続けるモチベーションになったという。
小学校を卒業すると、相撲で有名な高知県の明徳義塾中学に入学した。
3歳年上の先輩に朝青龍がいる。
その朝青龍は97年、つまり菊次少年が中学2年の時、明徳義塾高校に編入した。
「中学と高校の違いはありますが、中高一貫校ですから、相撲部は一緒に練習する。当然、菊次少年も朝青龍の胸を借りて稽古した。朝青龍は当時から札付きのワル。一方、菊次少年は中学3年の時に生徒会長を務めるほどの優等生でした。全寮制ですから寝起きも共にした2人ですが、物凄いイジメを受けたようです。しかも、ぶつかり稽古では死ぬほどかわいがられた。琴奨菊は顔も見たくないほど朝青龍を嫌っていましたね」(担当記者)
明徳義塾を出ると、高砂部屋へ入門するのが既定のコースだ。
「何といっても、元大関・朝潮の高砂親方は郷里の英雄ですから、当然のことですよ。ところが、高砂部屋へ入ると、またしても朝青龍にイジめられるに違いない。それを恐れた琴奨菊は、不文律を破って佐渡ヶ嶽部屋へ入門した。高砂親方がわざわざ実家に挨拶に来たのに、袖にしたといいます。そのため、明徳義塾の関係者からは〝裏切り者”呼ばわりされていました」(相撲関係者)
琴奨菊が三役に昇進したばかりの07年のことだ。
「部屋に朝青龍が出稽古に来ましてね。稽古相手に琴奨菊を指名した。2人で三番稽古となりましたが、朝青龍は竹刀まで持ち出して、もう嫌というほどかわいがっていました。 これは〝千代の富士方式”と言いましてね。本場所の土俵で顔を見るのも嫌なくらい稽古場でかわいがるんですが、当時の琴奨菊がその餌食になった」(前出・スポーツ紙記者) 宮本武蔵の境地「万理一空」とは「どんなにはるか遠くまで行っても空は一つしかない。全てのものは一つの世界にとどまっている」の意味で、転じて目標を見失わず励むこと。ところが、三役時代の琴奨菊は、目先の朝青龍にすくみ上がっていたのだ。そのせいかどうか、本場所でも朝青龍と対戦する時の琴奨菊は、蛇ににらまれたカエル状態だったのだ。
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