11月に入り、朝晩の冷え込みが一段と身に染みるようになると、仕事帰りの赤提灯や大衆酒場で恋しくなるのが、湯気立ち上る燗酒だ。夏場の冷酒一辺倒から温かい日本酒へシフトする左党が増える時期だが、暖簾をくぐって開口一番「とりあえず熱燗で!」と大雑...
記事全文を読む→「藤田平VS篠塚和典」1厘差で負けた男が「それでよかった」逆転の発想
あのイチロー氏が憧れたことでも有名な、元巨人・篠塚和典氏。絶妙なバットコントロールから「安打製造機」と称され、1984年、87年に首位打者のタイトルを獲得した。
その篠塚氏が、元巨人・岡崎郁氏のYouTubeチャンネル「アスリートアカデミア【岡崎郁 公式チャンネル】」で4月21日付け「【vol.2】藤田平選手との神がかりな首位打者争い(’81)」と題する投稿回に出演。憧れの選手として、阪神タイガースで活躍した藤田平氏の名前を挙げた。
藤田氏は1965年、ドラフト2位で阪神入団。2年目の67年に154安打で最多安打に輝くと、以後12年間にわたって3ケタ安打を記録。プロ通算2064安打で、阪神の生え抜き打者で初となる名球会入りを果たしている。
その藤田氏と篠塚氏には、首位打者を争った年がある。藤田氏にとっては晩年に近く、篠塚氏は入団6年目の81年(当時の登録名は篠塚利夫)。藤田氏が「.358」で篠塚氏を1厘差でかわし、初タイトルを獲得したのだった。
篠塚氏は次のように回想した。
「あの時、バッターっていうものは3年間3割打てば、ある程度、周りの人に認められてね。ボク自身は逆にあそこで獲っちゃったら、その後、(思い通りの)バッティングができてたかなっていったら、不安があったよね。逆にあそこは獲れなくて、その後に3割を3年間打つっていう方に意識を持ってったのはよかったと思うね」
篠塚氏は81年から5年連続で打率3割に到達。その間に首位打者にも輝いた。
すぐに結果を求めたがるところをグッとガマン…堅実に実力を高めていった胆力に頭の下がる思いである。
(所ひで/ユーチューブライター)
アサ芸チョイス
脳梗塞で療養中だった伊達みきお(サンドウィッチマン)が、10月31日の「サンドウィッチマンザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送)で、2カ月ぶりに復帰した。「さあ、時刻はお昼の1時を回りました。こんにちは。サンドウィッチマンの伊達みきおで...
記事全文を読む→泉ピン子が訴えられた。映画製作会社「HumanPictures」が11月3日、所属監督の映画「AYUMI」と「養父」に出演したピン子に対し、損害賠償を求め2日付で東京地裁に提訴したと、公式Xで公表したのだ。問題が発生したのは、10月23日に...
記事全文を読む→毎日のように見聞きする「不正アクセスによる情報漏洩」のニュース。もはや情報漏洩していない企業のほうが珍しいんじゃないのってくらいだし、それどころか官公庁にまで被害は及んでいる。三菱UFJフィナンシャル・グループが、2027年3月までの開業を...
記事全文を読む→

