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記事全文を読む→実録・1万2000ページで読み解く「昭和天皇」激動の87年生涯-“靖国合祀”と“人間宣言”篇-(1)
1945年、昭和天皇は大きな決断を迫られる。終戦を選ぶその心には飛鳥時代に日本が陥った危機と復興があった。「人間宣言」と「靖国不参拝」、2つの謎の扉が開く──。
太平洋戦争を終結させた昭和天皇の「ご聖断」について、蜷川正大氏が感想を漏らす。
「『全滅』を『玉砕』、『退却』も『転戦』と言いかえるような軍人は、たとえ戦争をやめようと思っていたとしても口には出せなかったはず。語弊はあるが、もしも昭和天皇を政治家として評価するのであれば、終戦のご英断に尽きる」
1945年8月10日の御前会議でポツダム宣言受諾の決心を述べると、みずからラジオ放送向けに終戦の詔書を朗読・録音した。15日正午に開始された玉音放送は、昭和天皇自身も会議を中座して聴いたという。
そして昭和天皇は戦争責任と向き合うことになる。9月11日、GHQは東條英機らを戦犯容疑者として逮捕。アメリカ国内で昭和天皇の戦争責任を追及する声が高まる中、連合国軍最高司令官マッカーサーとの会談に臨む。9月27日のことだった。マッカーサーを心服させたのは昭和天皇の戦争責任に関する発言だ。だがそれを語ることは、当時も今もタブーとされてきた。「実録」には、
〈政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う〉
という昭和天皇の発言が、「マッカーサー回想録」から引用されている。高森明勅氏が解説する。
「第一回会見の時の通訳は『天皇が全責任を負うというのはあまりにも事柄が重大なので、記録から削除した』と後任の通訳に証言しています。会見の1カ月後にGHQの政治顧問が本国に送った極秘電報にも『天皇はあらゆる責任を取ると言った』とある。いずれにしても、天皇が『全責任は自分にある』と言ったことは間違いないです」
終戦時に天皇が思い描いていたのは、飛鳥時代663年の白村江〈はくすきのえ〉の戦いの敗戦だという。日本は大軍を派遣して惨敗した。天皇のお遣いが出る神社(明治神宮や靖国神社)を勅祭社と呼ぶが、45年12月15日に勅祭社として白村江の戦いの時の天智天皇を祀る近江神宮を加えている。
「このことが示すのは、日本は白村江で負けたが、みごとに立ち直った。今回も再び立ち直れるということです。恐るべき大きな歴史的スケールで捉えておられる。古代の敗戦から復興した歴史の事実に立脚して、断固として戦争を終わらせました。政治家でも学者でもそのような判断はできない。自分の先祖がやったことを自分もやろうというのはすごいのひと言です」(高森氏)
46年2月には新聞が「退位の意思」を報じるなど、退位問題に注目が集まる中、48年10月には「退位されるべきではない」というマッカーサーの意向が伝えられた。
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