2019年、2021年にNetflixで配信された「全裸監督」の大ヒットのおかげで、村西とおる監督の名前は若者にも認知されるようになった。
筆者は村西監督が1988年にダイヤモンド映像を設立した時から、取材に訪れていた。事務所兼住居だった白亜の洋館はまさに御殿のようで、とある国が大使館として使用していた建物だった。地下を含め、5つのフロアがあったと記憶している。2階のリビングにはよくメンテナンスされた大きな水槽が置かれ、高級熱帯魚が群れをなして泳いでいた。
筆者は連載記事のため、月に2回程度、事務所を訪れたいたが、全盛期はなにしろ人の出入りが激しかった。ほとんどが女優を売り込もうとする事務所の関係者だろう。
驚いたのは、待合室に1万円札が2~3枚、放置されていたことだ。それは一度や二度ではなかった。どうぞ持っていってください、とばかりに、無造作に放置されていた。スタッフに聞くと、
「キャッシュでやり取りし、そのうちの何枚かが置き忘れられていたのでしょう」
全盛期は年商100億円に達していたとも言われ、数万円程度は気にも留めなかったのだろう。
こうした状況が3年ほど続いていたが、1991年頃からなんとなく雰囲気が変わってきた。ちょうどVシネを手掛けるようになったからで、知っているスタッフが一人、二人と消え、水槽は苔だらけになっていた。
その後、村西監督は衛星事業に乗り出した。ただ、事務所の関係者からは、
「衛星事業はかなり厳しい状況です」
と聞かされていた。水槽の熱帯魚は消え、メンテナンスがされずに、苔で真っ黒になったまま放置されていた。
筆者はその後、担当を外れたが、数カ月後に約50億円の負債を抱えて倒産したことを、ニュースで知った。
この時、筆者はなぜか、1991年頃に村西監督が発した言葉を思い出した。「今後、撮ってみたいものはあるか」という質問に対し、いつになく真剣な表情で、
「いつか死をテーマにした映画を撮ってみたい。それはずっと考えていたんです」
という思いがけない言葉が返ってきたのだ。「生きるか死ぬか」という起伏の激しい人生を送ってきた村西監督には、常に「死」が身近にあったのかもしれない。
しかし、筆者の心配は杞憂に終わった。多額の借金の返済に追われ、死ぬような思いをしたはずの村西監督は健在である。いつか死ではなく、驚くべき生命力の秘密をテーマにした映画を撮ってほしいと思う。
(升田幸一)