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「朝青龍 VS 白鵬」大相撲初場所・2008年1月27日
読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、巨人軍オーナーも務めた渡邉恒雄さんが昨年12月19日、肺炎のため死去した。98歳だった。
政界は言うに及ばず、マスコミ界、プロ野球界でも絶大な影響力を誇ったナベツネさんは、長きにわたって角界でも権勢を振るった。
ナベツネさんが横綱審議委員会の委員を務めたのは1991年から2005年まで。01年からの2年間は委員長の任にあった。
ナベツネさんの怒りが爆発したのは04年初場所前の稽古総見だ。前年末、横綱・朝青龍がモンゴルに無断帰国し、先代高砂親方(元小結・富士錦)の葬儀を欠席、年明けの稽古始めと綱打ちにも姿を見せなかったことが逆鱗に触れた。
「今度やったら引退勧告だ!」
これに震え上がった朝青龍は、夏場所後の稽古総見でナベツネさんに謝罪したが、それでも行状は一向に改まらなかった。
07年7月、腰の疲労骨折などを理由に夏巡業を欠場した朝青龍、なんとモンゴルでサッカーに興じていたことが発覚したのだ。
これを受け、日本相撲協会は朝青龍に対し、9月の秋場所と11月の九州場所の出場停止処分を決めた。横綱が出場停止になるのは、長い大相撲史上初めてのことだった。
朝青龍不在の2場所を制したのは、この年の7月場所から横綱に昇進した同じモンゴル出身で5歳下の白鵬。この年、彼は自身初となる年間最多勝(74勝16敗)をあげ、「最多勝力士賞」にも輝いた。
年が明け、08年初場所の土俵に朝青龍が戻ってきた。
1月27日、東京・両国国技館。ともに13勝1敗の相星で千秋楽を迎えた。
朝青龍が勝てば3場所ぶり21回目。白鵬が勝てば3場所連続6回目の優勝だ。
この一番、立行司の第34代木村庄之助は、土俵に上がってからの朝青龍の仕草に異変を感じていた。
「呼び出しが四股名を呼び上げ、両力士が土俵に上がった時、朝青龍の目がチラッと見えた。だいたい千秋楽は5、6回仕切ります。ところが朝青龍は、すぐにでも立つような目をしている。一方の白鵬は淡々と四股を踏んでいる。朝青龍を全く見ていない」
後日、庄之助は朝青龍に聞いた。
「あの時は1回目で立つつもりだったのか?」
「初っ口から行くつもりだったよ」
先手必勝。長い相撲になれば不利と考えた朝青龍は、持ち前のスピードをいかして、一気にけりをつけようとしていたのである。
「しかし、白鵬が下を向いていて顔を上げないものだから、行くに行けなかったようです」
2回目の仕切りで、白鵬は朝青龍と目が合った。
それについて白鵬はこう語っている。
「パッと(朝青龍の)顔を見たら立ってくると思ったから、よし行こうと。でも彼は立ってこなかった」
息が詰まるような神経戦である。いかに自分の呼吸で立つか。まるで名うての剣豪同士の果し合いを見ているようだ。
3場所ぶりの両雄の対決は、手に汗握る名勝負となった。がっぷり四つに組み、土俵中央で上手を引き合う。じりじりと土俵際に寄られた朝青龍は吊り上げて逆転を狙うが、最後は白鵬の上手投げに屈した。
青と白。この2人の対決に外れはなかった。
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