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記事全文を読む→井原正巳が明かした「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」の裏側「岡野雅行を殴りたかった」の本音
日本サッカーの歴史に残る「ドーハの悲劇」と「ジョホールバルの歓喜」。その両方でピッチに立った数少ない選手である井原正巳氏が、知られざる裏側を明かした。
元日本代表・鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演した井原氏は、自身のサッカー人生を振り返る中で、まずは「ドーハの悲劇」に言及。
「振り返れないよね。あまり覚えていない。交代で武田(修宏)が入ってきて、点を取りにいくのか、それとも時間をうまく使うのか曖昧だった。交代で入ってきた選手が、メッセージを持ってきてくるわけでもなかった。武田が右サイドをドリブルで行って、そのままコーナーでキープすれば、みんなで時間を使うんだなって思うんだけど、武田はそのままドリブルしてクロスを上げたんで、これは点を取りにいくのか、みたいな。そこからカウンターを食らう形になった」
イラクのカウンター攻撃をなんとかしのぎ、日本はコーナーキックに逃れる。
「これでもう終わりじゃないの、って思ったんですよ。これもうW杯行けるじゃん、ぐらいの感じはあった。時間がないので、相手は早く蹴ってくるという油断もあったと思う。ところがショートコーナーで、対応が遅れた。クロスを上げられて自分のマークがいたんだけど、その前でやられて、あのボールが入っていく軌道は一生忘れられない」
こうして同点に追いつかれた日本は、W杯アメリカ大会出場を逃す。点を取られた瞬間について井原氏は、
「ロスタイムが何秒あるかわからないんだけど、もうダメだと思っちゃったことの方が、後悔がある。もう1点取りにいけば、W杯に行けたかもしれないのに、諦めてしまった。あとから見た時に、それが悔しかった」
試合後はほとんど記憶がないそうで、
「どうやって控室に帰って、ホテルにか帰ったとかも覚えていない。覚えているのはホテルに帰って、お通夜みたいに食事をしている時に、韓国代表の選手たちが外で大騒ぎして、それを外から眺めてて、チクショウって。ホテルで悔し涙を流したことだけ、覚えている」
では4年後のW杯フランス大会予選の、イラン戦はどうか。井原氏はまず、こう言ったのである。
「ここで絶対決めようと、いい雰囲気で乗り込んでいった。よくここまで立ち直ったなってところはありました。逆に言うと、ここで決めたい。次まではもたない、という感じはあった」
試合は2-2のまま、延長に突入。ゴールが決まった瞬間に試合が終了する「ゴールデンゴール方式」で、緊張感のある試合展開となった。延長戦から投入された岡野雅行が、決定的なチャンスを何度も逃すと、
「もう、殴りたいぐらいでしたよ。1対1もあったし、右サイドを突破して中田英寿に流して『お前、打てよ』って。でも最後は決めてくれたんでね。それで岡野は今、飯食えているみたいなもんですから」
なんとかW杯出場権を獲得した日本。奇跡の瞬間、井原氏はこんなことを考えたという。
「本当にいろんな思いが湧き上がってきた。ドーハがあって苦しい思いをした仲間の分も悔しさを晴らすことができたし、サポーターにも恩返しできた。出場権を獲得した時はよかった、ホッとした。行けなかったら謝るしかないと思っていた。人生でいちばんプレッシャーがかかった試合だった」
キャプテンだった井原氏の重圧は、想像以上だったのである。この経験が今の日本サッカーを支えている。
(鈴木誠)
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