2002年W杯日韓大会の初戦ベルギー戦でゴールを決め、日本サッカー史に名を刻んだ鈴木隆行氏が自身の意外なキャリアを、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで明らかにした。
鈴木氏は鹿島アントラーズでプロとしての経歴をスタートさせ、ブラジルのクラブチームやジェフ市原、川崎フロンターレ、そして欧州のクラブチームと、多くを渡り歩いた。
2008年にアメリカのポートランド・ティンバーズに入団。チームは2011年から、メジャーリーグサッカーに参入することが決まっていた。そこで鈴木氏は2010年いっぱいで現役を引退し、コーチとしてクラブに残るつもりだったというのだ。
2011年3月、アメリカで契約を詰めていると、ある事情で日本に帰ることになる。
「帰った次の日に、東日本大震災が起きた。みんなも知ってるように、ああいう状況になったので、今度は気持ち的にアメリカに帰れなくなった。家族を置いて戻りたくないし、すごく怖いのもあったから、アメリカで何かやる気持ちが薄れてきて、落ち込んでしまった。この状況が何カ月も続いて、地元の茨城県も被災していたので、地元で何か協力したい気持ちが強くなった」
自分にはサッカーしかないと感じていた鈴木氏は、サッカーで協力できることはないか、地元のチームのどこかを助けたいと考え、水戸ホーリーホックに協力することを決める。
「すぐ柱谷哲二監督に連絡したら『とりあえず来い』みたいになって、話し合いをしてる最中に『お前、選手でやれ』って話になった。ボランティアスタッフとして手伝いたいと思っていたのに、選手はできない。それは無理ですよってなったんだけど、『できなかったらできなかったで辞めていいから、とりあえず選手でやれ』と言われた。でも給料はさすがにこんな状況でもらえないです、ということで、その勢いのまま無報酬というか、アマチュア契約で選手を続けることになった」
こうして日本代表のエースだった選手が、無報酬でプレーすることになったのである。被災した地元のためにボランティアで戦うとは、男気を感じさせるではないか。
(鈴木誠)