日本は今、海外からの観光客であふれているが、日本の女性で初めて海外留学をした人物を知っているだろうか。1871年(明治4年)、岩倉使節団とともに6歳で渡米し、新5000円札にもなった津田塾大学の創設者・津田梅子らが最初といわれているが、記録上は違う。その1300年も前に海を越えた女性がいるのだ。恵善尼、禅蔵尼とともに朝鮮半島の百済に渡った善信尼だ。名は嶋という。
574年(敏達天皇3年)に生まれた彼女は11歳で出家し、日本初の尼僧になった。それどころか、日本人初の出家者でもあった。
当時の日本では仏教をめぐり、有力者たちが対立していた。飛鳥時代に権勢をふるった蘇我馬子は国内に仏教を広めようとしたが、対立関係にあった物部守屋らが585年(敏達天皇14年)、仏教を崇拝したことで疫病が流行したと敏達天皇に進言したことで善信尼は捕らえられ、海石榴市(現在の奈良県桜井市)で鞭打ちの刑となった。だが、馬子の懇願で釈放され、新たに精舎を建ててもらったのである。
敏達天皇が崩御し、続いて即位した用明天皇は仏教の理解者だった。その機を逃さず587年(用明天皇2年)、善信尼は「百済に向かい、戒法を学び受けたい」と留学を願い出て翌588年(崇峻天皇元年)、来日していた百済国使に随行する形で海を渡った。その地で学び、589年(崇峻天皇2年)に帰国。奈良の桜井寺に住んだという。
善信尼はその地で多くの女性を得度させ、尼僧として育てている。彼女によって日本の女性仏教者の系譜が始まっており、人材育成という観点では、のちの津田梅子の先駆者だろう。
当時、朝鮮半島に渡るには全長15メートルから20メートル規模の木造船で、風を使う帆とオールで風待ちや、水と食料を補給をしながら、数日から10日間もかかったという。
(道嶋慶)