東京五輪男子柔道100キロ級で金メダルを獲得し、6月の全日本実業団体対抗大会を最後に引退したばかりのウルフ・アロンが、新日本プロレスへの入団を発表した。
「いつか柔道で思い残すこと、やり残すことがなくなったら、プロレスをやりたいと思っていた」
会見でそう語り、自ら望んでの転向であることを明かしている。
五輪金メダリストがプロレスに参戦するのは、日本では史上初のことだ。「プヲタ」「プ女子」が流行語になるなど、何度目かのプロレスブームの最中、こと新日本に関してはエース格のオカダ・カズチカや内藤哲也が昨年から相次いで退団し、新たなスター選手が待ち望まれていた。
「ウルフは将来のエースとなる可能性を秘めた選手でしょう」(プロレス担当記者)
大きな期待を寄せられているわけだが、それもそのはず。異種アスリートがプロレスへと転向した前例を見れば、頷けるのだ。
いの一番に挙がるのは、同じ柔道出身の「暴走王」小川直也。五輪こそ銀メダルに甘んじたが、全日本選手権を7度優勝、世界選手権は4度優勝という華々しい成績を残してのプロレス参戦であり、新日本をはじめ、複数の団体で戦った。総合格闘技の世界でも輝かしい成績を残し、一時代を築いている。
俳優・坂口憲二の父親であるレジェンドレスラー・坂口征二は世界選手権に出場した柔道家であり、女子では世界選手権銅メダリストの神取忍が、プロレスのリングで無類の強さを誇った。
日本の国技である相撲界からの転向者も多い。今やバラエティー番組でも人気の天龍源一郎は、西前頭筆頭までいった幕内力士だった。断髪式直前にアメリカ遠征でデビューし、当時のリングネームは「テン・ルー」だった。横綱経験者も少なくなく、元双羽黒の北尾光司、初の外国人横綱である曙太郎、ライバル北の湖と「輪湖時代」を築いた輪島大士らがマットに上がっている。
いわゆる「アマレス」から転向したプロレスラーにも、五輪アスリートがいた。長州力とジャンボ鶴田はミュンヘン五輪に出場。鶴田はのちに新日本から全日本へと移籍した谷津嘉章(モントリオール五輪フリースタイル90キロ級8位入賞)と「五輪コンビ」を結成した。
アマレスの実績が飛び抜けているのは、全日本のタッグ戦の名手・本田多聞だ。学生時代から3度の五輪出場を果たし、全日本レスリング選手権100キロ級で優勝7回、準優勝2回と国内では敵なしだった。
なにも格闘技系からの転向組だけが、プロレスで成功を収めたわけではない。ジャイアント馬場は高校2年時にスカウトされ、巨人入りした元プロ野球選手だ。5年間、巨人に在籍し、退団後は大洋への入団がほぼ内定していたが、宿舎の風呂場で転倒し、ガラス戸に突っ込んで左ヒジを負傷。その後、プロレスに転向した。
懐広く、どんな異種アスリートも受け入れるプロレス界。ウルフは数々の先達のように、スーパースターになれるのか。