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記事全文を読む→「プロレスVS格闘技」大戦争〈グレイシー柔術の礎になったコンデ・コマ アメリカのアド・サンテルが講道館に挑戦〉
東京五輪柔道100キロ級金メダリストのウルフアロンが新日本プロレスに入団。日本初の五輪金メダリストのプロレス転向は、大きな話題になっている。
「柔道でやり残したことがなくなったら、やりたいと思っていた」とプロレスへの憧れを口にしたウルフは基礎からプロレスを学び、来年1月4日の東京ドームにおけるデビュー戦に向けて汗を流しているが、一昔前なら“柔道金メダルのウルフアロンがプロレスに挑戦!”というプロレスVS柔道のニュアンスで伝えられたであろう。
日本のプロレスVS格闘技は、江戸時代にアメリカのプロレスラーが力士に挑戦する異種格闘技戦から始まったが、1904年(明治37年)に講道館の柔道使節として先輩の富田常次郎六段とともに渡米した、前田光世四段が翌05年7月にニューヨークのプロレス興行でヘビー級プロレスラーのブッチャーボーイの挑戦を受けた。これがプロレスVS柔道の始まりである。
柔道の逆関節、絞め技が認められ、両肩をマットにつけるフォールも有効のプロレスと柔道をミックスした3本勝負で行われ、前田が1本目は柔道の裏投げ‥‥プロレス技としてはバックドロップ、2本目は腕ひしぎ十字固めを極めてストレート勝ちしてみせた。
その後、前田は07年春にイギリスに渡ると、プロボクサーのジャック・ブラントンとの柔道マッチに腕絡みで勝利。翌08年1月にはロンドンの「世界レスリング・チャンピオンシップ大会」に日本代表として出場して、柔道着を着用せずにトランクス姿で準優勝。決勝でスコットランドのヘビー級王者ジミー・エチソンに敗れたものの、前田の名前はイギリスに轟いた。
イギリスからベルギー、フランス、スペインに進出し、バルセロナでは伯爵を意味する「コンデ」の称号を贈られた。前田は、このコンデの下に「コマ」を付けてコンデ・コマに改名。「コマ」は「困る」という日本語を縮めたもので、コンデ・コマ=「困った伯爵」という洒落っ気のあるリングネームにしたのだ。
04年から12年まで敗戦はロンドンでのエチソン戦だけで、柔道着での試合は2000勝無敗を誇った。
15年2月、ブラジルのベレン市に移住。第2の人生としてアマゾン川流域の開発に情熱を傾ける一方、地元の青年たちに柔道を教えた。その教え子の1人が、のちにグレイシー柔術の創始者となるカルロス・グレイシーである。
コマが現役を退いてから数年後の21年(大正10年)2月、アメリカ人レスラーでジュニア・ヘビー級王者を名乗るアド・サンテルが弟子のヘンリー・ウィーバーを連れて来日。講道館柔道に挑戦状を叩きつけた。これが日本で初めてのプロレスVS柔道だ。
サンテルは16年5月、サンフランシスコで伊藤徳五郎五段と1ラウンド10分3本勝負で戦い、第1ラウンドは時間切れになったが、2本目はサンテルのバックドロップが爆発。そのまま伊藤を戦闘不能に追い込んで勝利した。
伊藤は前田光世、佐竹信四郎、大野秋太郎と並ぶ柔道最強軍団の1人だっただけに、講道館は大きな衝撃を受けたに違いない。
サンテルは翌17年10月にはタロー三宅にもバックドロップで勝利している。
なおサンテルに負けたタロー三宅こと三宅多留次は柔術の選手で、04年にロンドンに渡って前田光世らとヨーロッパを巡り、のちにハワイで日系人の格闘家・沖識名をスカウトしてプロレスラーにしている。沖は力道山にプロレスを指導し、レフェリーとして手腕を発揮した日本プロレス史において重要な人物だ。
さて、サンテルの講道館への挑戦だが、館長の嘉納治五郎は「外来格闘家との試合に出場する者があれば破門」と発令。これに反発した庄司彦男四段、永田礼次郎三段、清水一三段、増田宗太郎二段の若い柔道家が挑戦受諾の名乗りを上げ、21年3月5日と6日の2日間にわたって東京九段の靖国神社相撲場特設リングで「西洋相撲対柔道 日米国際試合」が実現した。
リングは土俵の4本柱をそのまま生かし、ロープを張り、土俵の上に畳を敷いたもの。1ラウンド20分の3本勝負で、勝敗はカウントアウトかギブアップのみ。禁じ手は柔道の当て身、プロレスの首への攻撃(ヘッドロックを含む)、指関節の逆のみというシンプルなルールによる決闘である。
初日の増田VSウィーバーは1‒1から時間切れ引き分け、永田VSサンテルは1本目が時間切れ引き分けで、2本目はサンテルが反則とされるヘッドロックを極めて永田が戦闘不能に。そのまま戦うことができず、協議の結果、引き分けに。
2日目は清水がウィーバーに腕絡みでストレート勝ち。庄司VSサンテルは3本すべてが20分時間切れという死闘で、サンテルが絞め技で圧倒していたが、庄司が最後まで耐え抜いて日本柔道の威厳を死守した。
アントニオ猪木がミュンヘン五輪柔道金メダリストのウィレム・ルスカと同じ九段の日本武道館で「格闘技世界一決定戦」と称して対戦したのは庄司VSサンテルから55年後のことだ。
文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。
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