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Posted on 2026年05月31日 06:00

プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈長嶋茂雄が浪人1年目に中国のグラウンドに立った〉

2026年05月31日 06:00

 ミスタープロ野球・長嶋茂雄が北京の青空に3本のアーチを描いた。45歳、真っ白なユニホーム姿が躍動していた─。

 1981年6月21日、長嶋は中国棒球協会の招待で夫人の亜希子を伴い成田空港から北京に旅立った。

 秋に開催される日中対抗戦のために来日する、中国のナショナルチームを指導することが目的だった。

 長嶋は前年の10月21日、巨人の監督を解任された。選手時代を含めて23年間在籍した巨人との決別だった。

 再びミスターがユニホーム姿でグラウンドに立つ─。誰もが長嶋の球界復帰への足慣らしと期待した。

 中国は72年の日中国交正常化を経て、80年代に入ると日本との交流を盛んに行っていた。その流れの中で野球の強化に乗り出し、日本の技術協力を必要としたのだ。

 そこで日本球界の象徴である長嶋に白羽の矢を立て、日本球界関係者を通して熱烈なオファーを送ったのである。

 長嶋は快諾し張り切っていた。「中国は年々力がついているし、想像以上に強くなっているらしい。ノックをやるし、毎晩ミーティングもやる。できる限りのことをやってきます」

 さかのぼること78年に、長嶋が多摩川で中国の代表チームに野球指導を行っていた。その縁を中国は頼ったのだ。

 81年6月21日正午過ぎ、北京空港に降り立った長嶋を待っていたのは「VIP級」の出迎えだった。中国棒球協会主席の魏明、北京野球界の幹部、指導を受ける選手たちが顔をそろえた。

 用意されたホテルが北京では最上級だったのはもとより、送迎車は中国では最重要人物しか乗れない「紅旗」だった。黒塗りのリムジンのような高級車だ。国賓さながらの扱いである。

 22日、北京郊外の豊台球場に足を運んだ。約30人の選手たちと顔合わせして練習を視察した。

 そして、翌23日、長嶋はグラウンドに立った。巨人退団以来、初めて着るユニホームは帽子からシューズまで白一色だった。

「白いユニホームを汗と泥でどれだけ汚すか。その黒さで野球は上手になる」

 簡単なミーティングの後、午前は守備と走塁、午後は打撃を熱血指導した。「もっと大きく声を出して」「投げるときは指示を出す」「もっと早く、それじゃあ点が入ってしまうよ」。北京は33度のカンカン照りだったが、そんなものはどこ吹く風で、指導は熱を帯びるばかりだった。

 長嶋の辞書に「中途半端」という4文字はない。巨人の選手であろうと小・中学生であろうと同じエネルギーで接する。

 守備練習で、「そうそう、いまのオーケーグッド!」「待っていちゃダメだ。前へ出ろ、前へ」と叱咤激励するや打撃練習でも舌は滑らかだった。「カモン、ボーイ」「オーケー、レッツゴー」「声、出さんか」と英語と日本語を駆使し、ついに覚えたての中国語まで飛び出した。

「ハオデ! ハオデ!(いいね! いいね!)」

 身振り手振りで日英中の3カ国語を操り、中国の選手たちを和ませた。

 ハプニングが起こったのは25日だった。この日も打撃練習を見守っていた。

「タマをよく見ろ」「肩が開いているぞ」と選手の欠点を指摘しているうちに、だんだん我慢ができなくなってしまった。

 自らバットを手に打席に入ってしまったのだ。当然、グラウンドは一気に大盛り上がり。長嶋が本格的な打撃を披露したのが、74年の現役引退以来初だけに仕方あるまい。

 ここでブランクを感じさせないのがミスタープロ野球。中国の選手が全力で投げた真っすぐをいとも簡単に打ち返してしまうのだ。結果、20数球のうち3本が柵越え。中国の選手たちに拍手喝采で称えられたのだった。

 すると、長嶋は選手たちにこう呼びかけた。

「ボクは45歳、若い君たちはもっと打てるはずだ」

 練習後、長嶋はホテルで国営メディア・新華社通信のインタビューを受けた。

記者「言いにくいことだが、いまは何をしていますか?」

長嶋「フリー、自由人です」

記者「今後、野球界に復帰しますか?」

長嶋「もちろん、カムバックします。私はまだ若いのだから」

 浪人1年目にして、堂々の球界復帰宣言である。

 この年、巨人は長嶋が育てた若手選手の活躍で日本一となったが、ファンは長嶋がいない喪失感を思い知った。8月に長嶋を現場に復帰させるための署名運動が始まったように、ファンの誰もがすぐに戻って来ると思い、誰もがすぐに戻ってほしいと願っていたのである。

 だが、周囲がどんなに騒ぎ立てようが、「ユニホームを着る機が熟していない」と動かなかった。プロ野球中継の解説者やスポーツ新聞の評論家として球界にかかわりつつ、スポーツや文化全般の知識を吸収するために長い充電期間を過ごした。

 長嶋が巨人監督復帰を決めたのは足慣らしと言われた81年の中国訪問から約11年後、92年オフだった。

 ちなみに、中国は長嶋の指導後、アジア選手権などで日本や韓国を脅かす存在となった。

 今年6月3日に、長嶋が逝去して早くも1年となる。その死を悼む声はいまだに絶えない。合掌。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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