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── ハンセンさんは日本人女性と結婚しているので、日本食を食べる機会も多いと思います。すでに公になっているので、ユミ夫人との馴れ初めをお聞きしてもいいですか?
ハンセン プライベートな話は苦手だが‥‥結婚したのは29年前だ。彼女の友達が私のファンだった。その友達が彼女を連れて私のサイン会に来た時に知り合ったんだ。それから結婚まで交際期間はけっこう長かった。
── ハンセンさんは有名なので、奥様のご両親も最初は驚いたでしょうね。
ハンセン 彼女の父親はすでに亡くなっていた。そして母親は最初の頃はきっとうれしくなかったと思う。でも、私が彼女を真剣に愛していることを理解してくれたことで、母親ともいい関係を築くことができた。そうなれるまで時間をかけてよかったと思っている。そろそろ、レスリングの話題に戻さないか?(苦笑)
── わかりました。ハンセンさんは77年から81年にかけて新日本のリングでアントニオ猪木と抗争を展開したことでトップ外国人になりましたが、猪木はどういう存在でしたか?
ハンセン 新日本のオフィスは私のオーソドックスではないファイト・スタイルを理解してくれて、いろいろな機会を与えてくれた。猪木はどんなスタイルの相手とでも闘えるレスラーだったからね。猪木との試合は決して簡単なものではなく、必死だったよ。猪木との闘いもそうだし、アンドレ・ザ・ジャイアントとの一戦(81年9月23日、田園コロシアム=アンドレの250キロの巨体をボディスラムで投げた伝説の試合)がポイントになったと思っている。当時の私はハングリーだった。アメリカではプロモーターが約束を守らないことも少なくなかったが、日本では契約どおりにファイトマネーを必ずもらえたから、日本でずっと活躍できるように努力したんだ。
── 猪木は新日本のトップレスラーであると同時に社長でもありましたが‥‥。
ハンセン 猪木はリングで闘うだけの相手。契約などのビジネスの話はオフィスの人間としていたから、当時は猪木と話をしたことは一度もなかった。
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