大相撲の元大関貴ノ浪の音羽山親方(本名・浪岡貞博)が急性心不全のため死去した。享年43。1日3升も飲む酒豪で、豪快な相撲を取ることでも知られ、その素質は横綱クラス。引退後は貴乃花親方の片腕として一門の勢力拡大になくてはならない存在だった。
「温厚で人を包み込む包容力があり、社交的で貴乃花グループの部屋の勢力拡大の牽引者だった。音羽山親方の死去でいちばん肩を落としているのは貴乃花親方でしょう」
こう語るのは、貴乃花一門をよく知る相撲関係者。続けて言う。
「というのもね、貴乃花グループの相撲部屋には個性的な親方が多く、頑固で融通が利かない人ばかりなんです。貴乃花親方からして言葉足らずなタイプですから、その意図するところをわかりやすく説明する『広報担当』が必要ですが、音羽山親方は、その役をやっていた。一門が勢力を拡大できたのも、彼のおかげです」
何しろ、時津風親方、立浪親方など、かつて一門を束ねた、そうそうたる親方が貴乃花親方の考え方に共鳴。今年3月4日に大阪市内のホテルで開かれた「貴乃花一門」の正式発足を記念した激励会には、常盤山、音羽山、西岩、阿武松、不知火、大嶽、立浪の各親方が出席した。そこには、音羽山親方の陰の功労があったのである。
音羽山親方は青森県三沢市出身で、中学時代に当時の藤島親方(元大関貴ノ花)にスカウトされ、角界入りした。1987年の春場所で「浪岡」の四股名で初土俵を踏み、91年、九州場所で新入幕を果たした。
元力士が言う。
「二子山親方は浪岡少年には特別目をかけていた。二子山部屋では、おかみさんの憲子夫人が弟子の四股名を付けていて、貴闘力、安芸乃島も彼女が付けたものですが、浪岡改め貴ノ浪だけは二子山親方がじきじきに付けたほどです」
部屋は一人100番くらい稽古する猛稽古で知られていた。貴ノ浪も196センチと体格に恵まれ、稽古に明け暮れた。
「懐が深く、肩越しに上手を取りに行く。最初、親方は『相撲が大きすぎる』と注意したが、本人のやりたいように任せたら、大きく伸びたそうです」(二子山部屋関係者)
93年夏場所には小結、続く名古屋場所で関脇に昇進。94年初場所後に大関となった。
新大関の3月場所では12勝3敗の成績をあげ、曙、貴闘力との優勝決定戦に進出したが、優勝は曙にさらわれた。貴ノ浪らしさを発揮して優勝したのは96年初場所。
相撲評論家の三宅充氏が言う。
「貴乃花との同部屋対決の優勝決定戦では、貴乃花が切り替えしに来るところを『河津掛け』で制した。大一番で一か八かの大技を繰り出すなんて、貴ノ浪が大器である証拠です。横綱武蔵丸ともいい勝負を繰り広げた。優勝2回。横綱の器と言われるのもわかる気がします」
部屋では貴乃花派にも若乃花派にも属さず、中立を保った。
「あの頃から、豪快な飲みっぷりでした。日本酒なら毎日3升は飲んだ。ウイスキーをグラスピッチャーに注ぎ、氷を入れて飲むなんて当たり前。それでも二日酔いもせず、稽古に励んでいた」(前出・元力士)
名古屋の病院長の娘でもある陽子夫人とは幕下時代から交際していたという。
「一時、名古屋の彼女のところに入り浸りだと言われたりしたが、実は、現役時代から患っていた心臓病の療養だったようです。06年には巡業中に倒れて、そのまま故郷に帰り、生死をさまよったこともある。1日40本タバコを吸い、貴乃花一門の参謀として角界関係者と酒席を共にする日々。昨年1月には食道ガンが見つかり、手術もしていた」(二子山部屋関係者)
退院後は酒もタバコも断ったが、病魔には勝てなかった。それにしても早すぎる──。