スポーツ
Posted on 2015年11月28日 17:56

スタン・ハンセン 来日緊急インタビュー!“シニア世代への熱血エール”「ジャイアント馬場のひと言がうれしかった」

2015年11月28日 17:56

20151203r

 ハンセンといえば、現役時代は“ブレーキの壊れたダンプカー”とレスラー仲間からも恐れられたが、その理由は「誰にも負けたくない」という自身のプロレス哲学にあった。

「現役時代には、(今年4月に)亡くなった阿修羅・原に35針も縫う大ケガを負わせてしまったことがあった。あとで『悪かったな。わざとやったわけじゃないんだ』と謝りに行くと、『いや、これは、ビジネスのためによかったんだ』と、原は平然と言ったものだ。彼は、本当にタフな男でプロだった。思い返せば、小橋、天龍らにも椅子で殴りつけ、大ケガをさせてしまい、悪かったと思う。だが、喧嘩ではなくビジネスだと思っていても、絶対に譲れない部分がある。だから、どうしても一線を越えてまうのだ。それが闘いというものだろう」

 75年9月に初来日を果たしたハンセンは、82年1月からは全日本プロレスに移籍。ブルーザー・ブロディと“超獣コンビ”を組むなどトップ外国人レスラーとして暴れまくり、ジャンボ鶴田や天龍源一郎などと死闘を繰り広げた。中でも、ジャイアント馬場はハンセンのプロレス人生を語るうえでは欠かせないキーパーソンだったと振り返る。

「全日本に移籍する際、私には、大きな心配事があった。全日本はアメリカンスタイルだが、自分には自分の作り上げたスタイルがあり、全日本に入っても変えたくなかった。それを馬場に聞くと、こう答えたのだ。『キミのスタイルが気に入ったからこそ、入ってもらいたいのだ。全日本はキミのスタイルを求めている。そのスタイルは変えないで、逆に全日本を変えてくれ』と‥‥。そのひと言が、本当にうれしかった」

 ハンセンが加入したことによる影響は大きかった。全日本プロレスは、のちの「四天王プロレス」まで連なる肉体のきしむような激しい技の攻防で観客を魅了する時代に突入していく。そうした中で、馬場との闘いも熾烈を極めた。

「馬場にとって、私が全日本に来ることは、とてもハッピーだった。その反面、馬場も自分も、ポジションを確保しなければならない。だから、そこで、本気のぶつかり合いが発生した。馬場は私のボスだが、レスラーとしてしか見たことがない。『ボスだからケガをさせられない』などと考えたことは一度もない。いつも本気で叩きのめしてやろうと思っていた。そうしなかったら逆に自分がやられていた」

 しかし、93年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で初タッグを結成して以来、2人はたびたびタッグを組むようになる。その過程でハンセンは、意外な馬場の素顔を知ったという。

「自分が大好きだったからかもしれないが、控え室によく大福餅を差し入れしてくれた。一箱持ってきて、『どうぞ』という感じで渡されたこともある。あれは、不思議な感覚だった。今も来日してショッピングセンターで大福餅を目にすると、ふと馬場の笑顔を思い出してしまうんだ」

全文を読む
カテゴリー:
タグ:
関連記事
SPECIAL
  • アサ芸チョイス

  • アサ芸チョイス
    芸能
    2013年11月26日 10:00

    11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。島倉は、男を信じて手形の保証人となったせ...

    記事全文を読む→
    芸能
    2026年04月28日 16:30

    バナナマンの日村勇紀が当面の間休養に専念すると、所属事務所ホリプロコムの公式サイトで発表した。今年に入ってから体調を崩すことが多く、医療機関を受診した結果、休養が必要との判断に至ったのだという。「心身の回復を第一に、コンディションを整えなが...

    記事全文を読む→
    カテゴリー:
    スポーツ
    2026年05月07日 06:30

    ゴールデンウィークが明けても再起の見通しが立たず、長すぎる空白期間を過ごしているのは、左内腹斜筋肉離れでリハビリ中のヤクルト・山田哲人内野手である。沖縄・浦添キャンプのシートノック中に脇腹の張りを訴え、戦線離脱。5月になっても打撃のひねり動...

    記事全文を読む→
    カテゴリー:
    注目キーワード
    最新号 / アサヒ芸能関連リンク
    アサヒ芸能カバー画像
    週刊アサヒ芸能
    2026/5/12発売
    ■650円(税込)
    アーカイブ
    アサ芸プラス twitterへリンク