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記事全文を読む→ホントーク〈斎藤文彦×名越健郎〉(2)プロレスに挑んだ最大の理由とは?
名越 彼自身がプロレスラーになろうと思った決め手は何ですか。
斎藤 プロレスと相撲の共通点を発見したからだと思います。ボクシングなど他の格闘技の対戦相手は、極端に言えば、二度と会わないこともあるけれど、相撲やプロレスは同じ相手と何度も闘います。仲間だから、相手にケガをさせてはいけないし、自分もケガをしない戦い方をする。これまでの経験が生かせると感じたのでしょう。
名越 相手にケガをさせないというのは、手加減する。つまり、〝八百長〟があるという点が、相撲もプロレスも共通だからやりやすいという意味ですか。
斎藤 八百長というのはやや違います。そもそも、相撲も勝敗だけを争っているわけではない。強くても人気がない力士もいれば、弱いけれど人気力士もいます。いろいろな力士が場所ごとに番付を競うことが魅力で、それはプロレスにも通じるという意味です。ただ、相撲はファーストコンタクトでほぼ勝負が決まるけれど、プロレスは時間をかけて、スキルや肉体のストーリーを観客に提示します。力道山は、そこに可能性を感じたのでしょう。
名越 エンターテナーでもあったわけですね。
斎藤 はい。超一流のエンターテナーです。
名越 力道山は52年のアメリカ修業で多くを学び、それが成功のカギだったと思いますが、アメリカでの実績は、ジャイアント馬場のほうが上ですよね。力道山はそこにコンプレックスはなかったのでしょうか。
斎藤 馬場さんのアメリカでの活躍は「派手に報道するな」と、新聞記者にクギを刺したというエピソードはあります。
名越 力道山は海外から帰ると必ず、羽田空港に記者を集めて会見を開くなど、メディア活用にも長けていました。彼にメディアの操縦法をアドバイスした人物がいたのでしょうか。
斎藤 いい質問ですね。これまでその視点はありませんでした。昭和30年代は洋行帰りというだけでステイタスの時代。そこをうまく利用したのでしょう。力道山には、そういう天性のセンスがあったことは確かです。その意味でも名プロデューサーでした。
ゲスト:斎藤文彦(さいとう・ふみひこ)1962年東京都杉並区生まれ。プロレスライター、コラムニスト、専修大学文学部哲学科兼任講師、国士舘大学体育学部非常勤講師。早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修了、筑波大学大学院人間総合科学研究科体育科学専攻博士後期課程満期。在米中の81年より「プロレス」誌の海外特派員を務め、「週刊プロレス」創刊時より同誌記者として活動。
聞き手:名越健郎(なごし・けんろう)拓殖大学特任教授。1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長などを経て退職。拓殖大学海外事情研究所教授を経て現職。ロシア政治ウオッチャーとして活躍する。著書に「独裁者プーチン」(文春新書)など。
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