「裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音」井上薫/990円・中公新書ラクレ
法曹界の中でもベールに包まれている裁判官。だが実態は「普通のサラリーマン」と明かすのは元裁判官で弁護士の井上薫氏だ。裁判官の日常生活や冤罪事件、そして裁判員制度に最高裁の独裁に至るまで、裁判官のリアルを暴露する。
名越 井上さんは裁判官を20年間務められて、現在は弁護士として活動されています。本書では裁判官の実態を赤裸々に書かれていますが、裁判官というと、誠実で清廉潔白、悪いことは一切しない聖人君子みたいな印象を持っていたので、実は凡人・俗人だと書かれていて驚きました。
井上 ごく普通のサラリーマンと同じです。上司に逆らうと飛ばされます(笑)。もちろん、警察に捕まるようなことはしませんが、目立つこともしない。消極的な姿勢が身についている人が多いです。
名越 いくつもの裁判を同時に抱えて、休日も家で仕事をするなど、とても忙しそうですね。
井上 民事事件の半数は和解で終えます。そうなると裁判官は判決文を書かないで済むので、一生懸命、和解を勧める裁判官もいます(笑)。
名越 刑事事件では冤罪もたくさんあると書かれていますが、どれくらいの数があるのでしょうか?
井上 昨年亡くなられた木谷明さんという著名な裁判官は、在任中、30件ほどの無罪判決を出しています。
名越 一般市民にとって、身近な冤罪というと、やはり痴漢ですか。
井上 そうですね。痴漢は女性の証言以外に有力な証拠がない場合が多いんです。ですが、証拠不十分で無罪かというと、そうでもありません。この人物が犯人だろうという先入観が裁判官にある場合、本人がいくら否認しても「虚しい弁解をしている」と、とられてしまいます。
名越 自白すると、どうなりますか?井上 その日のうちに帰してもらえます。否認してずっと勾留されていると、会社をクビになるなど大きな犠牲が生じますから、やっていなくても「痴漢しました」と認めてしまうケースもありますね。
名越 中には痴漢されてもいないのに「触られた」と騒ぎ立てる、クレーマーのような女性もいるんですか。
井上 以前、大阪で示談金目当てに痴漢をでっち上げた事件がありました。真実は別として、罪を認めれば会社にバレない可能性もあるので、人によっては示談金が100万円でも安いと考える人もいます。警察官も「犯行を認めれば家に帰してやる」など、あからさまに言うので、示談金ビジネスが成り立ってしまうのです。
名越 痴漢以外での冤罪というと、1966年に起きた一家4人を殺害した事件で死刑判決を受けたものの、再審で昨秋、無罪判決が確定した「袴田事件」が注目されました。この事件は、早い段階から無罪とわかっていたんでしょうか。
井上 裁判には裁判官が1人で担当する単独事件と、複数の裁判官が担当する合議事件があり「袴田事件」は3人の裁判官が担当しました。一審の裁判官の1人が良心の呵責に耐えかねて、自分は無罪の心証だったのに、他の2人を説得できないで有罪、死刑になったとテレビで告白しました。
名越 井上さんはどう思われましたか。
井上 僕は初め、弁護人が無罪だと言っているだけだと思っていましたが、着衣をめぐる検察官の主張・立証と、その変遷は不自然だと思いました。まず有罪という結論があって、つじつまが合うような証拠だけ拾ったという印象です。
名越 なぜ、こうしたことが起きるのでしょうか。
井上 最終的に無罪になるのは、提出しない証拠の中に無罪になり得る証拠が入っていたり、証拠の捏造があったりする場合です。裁判官が提出されない証拠を考慮することはあり得ません。
ゲスト:井上薫(いのうえ・かおる)1954年東京都生まれ。78年東京大学理学部化学科卒業、80年同大学院理学系研究科化学専門課程修士課程修了。83年司法試験合格。86年判事補任官。96年判事任官。06年判事退官。07年弁護士登録。「裁判官の横着 サボる『法の番人』たち」「『捏造』する検察 史上最悪の司法スキャンダルを読み解く」など著書多数。
聞き手:名越健郎(なごし・けんろう)拓殖大学客員教授。1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長などを経て退職。拓殖大学海外事情研究所教授を経て現職。ロシアに精通し、ロシア政治ウオッチャーとして活躍する。著書に「独裁者プーチン」(文春新書)など。