11月に入り、朝晩の冷え込みが一段と身に染みるようになると、仕事帰りの赤提灯や大衆酒場で恋しくなるのが、湯気立ち上る燗酒だ。夏場の冷酒一辺倒から温かい日本酒へシフトする左党が増える時期だが、暖簾をくぐって開口一番「とりあえず熱燗で!」と大雑...
記事全文を読む→誰もが憧れる生き方…ムッシュかまやつが語った「音楽以上に大切なもの」
3月1日、ミュージシャンのムッシュかまやつことかまやつひろしが78歳で亡くなった。晩年こそがんにむしばまれての療養生活だったが、常に気張ることがなく好きなことを続けていくという、誰もが憧れるような生き方だったという。
ムッシュは「週刊アサヒ芸能」(09年3月12日号)でテリー伊藤との対談に出演した際、50年以上という芸能活動の思い出を語っている。
「カントリー&ウエスタンからロカビリーと、当時最先端の音楽を追いかけていたムッシュは役者としても活動。石原裕次郎や小林旭、赤木圭一郎などとも昵懇だったそうです。赤木がゴーカートの事故で亡くなった際には、『カーブの先だからぶつかったところは見てないですけどね』と語っていましたが、ムッシュはその場にいたのだそうです」(週刊誌記者)
当時のミュージシャンとしてのつながりには、今なお芸能界に多大な影響力を持つそうそうたる名前が並ぶ。
「『(スパイダースの前は)僕はワゴン・マスターズにいて、田辺さん(田辺昭知氏。現・田辺エージェンシー社長)が堀威夫(ホリプロ創始者)とスウィング・ウエストにいて、いつか一緒にバンドやろうよと言っていたんです』と語っています。その後、田辺氏をリーダーにスパイダースが結成されるのです。対談中、ムッシュは『周りがいいから僕も助けられた』『人とのつながりがあって生かされてきた。それが音楽以上に自分にとって大切だったなと感じますね』と、周囲の人への感謝を何度も口にしていました。それだけ、ムッシュも愛される人柄だったということでしょう」(前出・週刊誌記者)
対談当時、ムッシュは湘南へ行ってライブをすることがお気に入りだったそうで、そこでも「ステキな人たちと出会えるしね」と、やはり人とのつながりについて語っている。
今も天国で、先人たちと酒を酌み交わしながら旧交を温めているのかもしれない。
アサ芸チョイス
脳梗塞で療養中だった伊達みきお(サンドウィッチマン)が、10月31日の「サンドウィッチマンザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送)で、2カ月ぶりに復帰した。「さあ、時刻はお昼の1時を回りました。こんにちは。サンドウィッチマンの伊達みきおで...
記事全文を読む→泉ピン子が訴えられた。映画製作会社「HumanPictures」が11月3日、所属監督の映画「AYUMI」と「養父」に出演したピン子に対し、損害賠償を求め2日付で東京地裁に提訴したと、公式Xで公表したのだ。問題が発生したのは、10月23日に...
記事全文を読む→毎日のように見聞きする「不正アクセスによる情報漏洩」のニュース。もはや情報漏洩していない企業のほうが珍しいんじゃないのってくらいだし、それどころか官公庁にまで被害は及んでいる。三菱UFJフィナンシャル・グループが、2027年3月までの開業を...
記事全文を読む→

