プロレスラーと他の格闘技者が激突する、異種格闘技戦が本格スタートとなったのは1976年2月6日、日本武道館で実現したアントニオ猪木と72年ミュンヘン五輪で重量級と無差別級の2階級金メダルに輝いた柔道世界一のウィレム・ルスカの一戦だ。21年(...
記事全文を読む→アントニオ猪木
昔のドラマの再放送を見ると「この作品は××年に放送されたものです。現在においては一部不適切な表現も含まれますが、制作当時のオリジナリティを尊重し、編集をせずに放送させていただきます」といった注釈テロップが表示されることがある。その風潮を茶化...
記事全文を読む→10月1日で亡くなってから3年を迎えるアントニオ猪木さん。プロレス界が生んだ不世出のスーパースターであったが、同時に政治家としても活躍。90年の湾岸戦争の際、クウェートで141人の在留邦人が人質となった際には単身イラクに乗り込み、当時のフセ...
記事全文を読む→「黒いヒトラー」と呼ばれる権力の長に昇り詰め、政権下においては、逆らうものを片っ端から惨殺。その数30万人とも言われるのが、ウガンダのイディ・アミン元大統領だ。身長193センチ、体重100キロ超えの巨漢だったアミン元大統領は、ボクシングで東...
記事全文を読む→今年2025年3月6日の大田区総合体育館大会で、新日本プロレスは旗揚げ53周年を迎えた。全日本プロレスも、10月22日には53周年を迎える。振り返ると日本のプロレス界は、53年前の72年にアントニオ猪木が新日本、ジャイアント馬場が全日本を旗...
記事全文を読む→テリー猪木さんと最後にお会いできたのは?藤原亡くなる1年ぐらい前かな。猪木さんのユーチューブに呼ばれて行ったんだよ。でも猪木さんすごいよ。それまでぐったりしてたのにカメラが回った途端にシャキッとするんだな。テリーやっぱりスターですよね。どん...
記事全文を読む→テリー付き人の時って休みはあったんですか。藤原シリーズとシリーズの間の2週間かな。その半分ぐらいは自由な時間だったよ。でも、休みの日だって、急に電話が鳴ったりするからな。それに備えて、いつでも臨戦態勢だよ。テリーそういう生活の中で猪木さんか...
記事全文を読む→テリー実際に何回かふっ飛ばされてましたよね。一発目なんか組長、そのまま倒れてたじゃないですか。藤原そう。すごかったんだよ。バーンってふっ飛ばされてさ。でも「これ後ろに回ったら、ひょっとすると何とかなるかな」と思ったんだけど、2回目ふっ飛ばさ...
記事全文を読む→プロレスラーとして一時代を築き、硬派なキャラクターで「組長」としてバラエティー番組でも活躍した藤原喜明。実は天才テリーとも浅からぬ因縁があった!組長が今でも忘れられないその出来事とは?師匠・アントニオ猪木への愛が炸裂した一本勝負のゴングが鳴...
記事全文を読む→今から25年ほど前のこと、格闘技界に驚きの事態が起きた。アントニオ猪木に近い関係者から「マイク・タイソンから異種格闘技の対戦オファーが届いている」との情報を得たのである。タイソンはボクシングの元ヘビー級世界王者。猪木は1998年に引退してい...
記事全文を読む→武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが2002年1月31日付で新日本プロレスを退団。3人はフリーとなったが、全日本プロレスに行くのは明白だった。その翌日の2月1日、新日本の札幌・北海道立総合体育センターで蝶野正洋が仕掛けた。武藤らの退団の大き...
記事全文を読む→「格闘王」こと前田日明が、UWFをともに引っ張ってきた高田延彦と不仲になったきっかけを明らかにした。8月11日の「有吉ぃぃeeeee!~そうだ!今からお前んチでゲームしない?」(テレビ東京系)に出演すると、誕生日を迎えたトシ(タカアンドトシ...
記事全文を読む→東京で京王電車に乗った海外観光客は「アントニオ猪木が電車の中にたくさんいて、驚いた」と目を丸くした。京王電鉄は6月16日から、車内の広告全てにプロレスラーの故アントニオ猪木が登場する特別電車「闘魂トレイン」の運行を始め、中吊り広告に試合場面...
記事全文を読む→正月早々、プロレス界を揺るがす前代未聞の事件が勃発したのは、1999年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会だった。詰めかけた6万人の大観衆が見つめる中、新日のエースで「破壊王」として知られる橋本信也に挑戦状を叩きつけたのが、アントニオ猪木...
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