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記事全文を読む→武一族「天才騎手のスパルタDNA」(2)芝が剥げた内をわざと突き…
邦彦の重賞初勝利はデビューから3年目の59年、ハチサカエでのアラブ大障害・春だった。この年に29勝をマークして以降、中堅騎手として知られるようになる。しかし、当時は関東の馬には関東の騎手が乗り、関西の馬は関西の騎手が手綱を取るのが常識。クラシックレースか重賞でもないかぎり、遠征はしない。美浦の厩務員が言う。
「先輩から聞いた話だけど、昔は馬も騎手の腕も東西で格段の差があり、東高西低と言われた。名手とたたえられた加賀武見さんや野平祐二さんは関東の騎手。いい馬も関東の厩舎にしか入らなかった。だから関西に馬を連れて行っても負ける気はしなかったそうです」
邦彦は「西低」の栗東所属。63年に35勝して初めてリーディングのベスト10に入った数年後に、東京競馬場で「ミスター競馬」野平の騎乗を目の当たりにして、「乗り方をすごく参考にさせてもらった」と述懐している。関西のベテラン専門紙記者は、「邦彦が調教師の頃に野平さんと会った時、最敬礼していた」と言うほどだから、その偉大さがわかろうというものだ。
ところで、リーディングトップ10の常連になっていた邦彦に欠けている勲章があった。GII、GIIIは勝つものの、GIとは縁がなかったからだ。それが騎手生活16年目の72年、アチーブスターで桜花賞を勝ち、一気に花開くことになる。同じ年にロングエースでダービー制覇、73年はタケホープで菊花賞、翌74年にはキタノカチドキで皐月賞。わずか3年で三冠騎手になり、「天才」「ターフの魔術師」の異名はついに全国区となった。専門紙トラックマンが言う。
「あの頃のコースは開催後半になると、内側は芝が短くなるどころか剥げていた。だから騎手は外めを走るんだが、邦彦はそのインを突くことが珍しくなかった。腕が確かでなければできない芸当で、魔術師と言われたゆえんですよ」
そして、ロングエースでは当時の常識を覆している。トラックマンが続ける。
「デビュー戦が512キロで、526キロで出走したこともあるのがロングエース。今は珍しくない馬体重ですが、あの頃は中長距離戦に巨漢馬は向かないと言われていた。邦彦だからできたことです」
ところで、すでにダービーを勝っていたタケホープは関東馬であり、主戦の嶋田功も関東の騎手。菊花賞は落馬負傷した嶋田の代役だったが、これは異例のことだった。代役でも関東の馬には関東の騎手を据えるのが普通だったからで、舞台が京都競馬場とはいえ、話題になったものだ。実際、邦彦がタケホープとコンビを組んだのは、あとにも先にもこの一戦だけである。
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